<世界に一つのフラワーバスケット>
<春のフラワーバスケット>
<初夏のフラワーバスケット>
<ラベンダーバンドルズ&タペストリー>
しかし、66歳の尾崎将司プロ(マックス・インターナショナル)が、1イーグル、9バーディー、2ボギーの「62」で回り、レギュラーツアーで史上初「エージシュート」を達成されました!おめでとうございます!
男子ゴルフツアーの「つるやオープン」第1日が、4月25日、兵庫県川西市の山の原GC山の原C(6793ヤード、パー71)で開催されました。
ジャンボ尾崎は、7つのバーディを積み重ねて迎えた14番で、3パットでのボギーをたたいてしまいました。
しかしそこからの気合いは、往年のジャンボを彷彿とさせる集中力でスコアを伸ばしました。
15番、16番と連続バーディを奪うと、17番パー5では7メートルのイーグルパットを沈め10アンダーへ。
最終18番こそボギーとしましたが、9アンダー「62」は文句なしのエージシュート達成です!
<ショット前に繰り返す右手素振り>
<17番でイーグルパットを決める。全盛期の自信満々の表情>
<17番でイーグルを決めてポーズをとる。ギャラリーも大喜び>
<17番でイーグルパットを沈めたジャンボ尾崎は、
往年の“コブラポーズ”を決めギャラリーを沸かせた>
<18番、「62」でホールアウトし、エージシュートを達成した
尾崎将司(左)プロには、弟の尾崎直道プロも“脱帽”>
尾崎直道プロも歴史の証人となりました。
4年ぶりに兄の尾崎将司プロと同組になり、「62」の好スコアを目撃したのです。
18番グリーン上では帽子をとって深々と頭を下げ最敬礼。
「本当にいいものを見せていただいた。本人が言うかもしれないけど“ニュージャンボの時代”だね。」と余韻に浸っていました。
<堂々のエージシュート、通算9アンダー「62」で
単独首位に立った尾崎将司プロ>
「つるやオープン」第2日。
この日は早朝スタートにもかかわらず多くのファンがジャンボ尾崎のプレーを見守りました。
内容は4バーディ・5ボギーの「72」と1つスコアを落とし、4ホールを残してサスペンデッドとなった松山英樹らに並ばれるも、トータル8アンダーで暫定ながら首位をキープしました。
2011年ブリヂストンオープン以来28試合ぶりとなる予選通過を確実なものとしました。
<第2ラウンドスタート前にジャンボ尾崎に花束贈呈、大ギャラリーが祝福>
<7番、セカンド地点へ向かう>
<15番でティーショットを放つ>
<16番のグリーン横バンカーからボールを出す>
< 16番、ティーショット待ちの時間に折りたたみ椅子に座る>
「つるやオープン」第3日。
誰よりも大きな声援を受けてスタートしたジャンボ尾崎だったが、66歳の体はすでに悲鳴をあげていました。
3番、4番と連続ボギーでいきなりスコアを落とし、中盤は3つのバーディを奪うなど見せ場も作りましたが、14番、最終18番とボギーを叩き、結果、3バーディー、4ボギーの1オーバーで 2日目の4位から22位に後退しました。
「ダメだ。体が動かない。初日は2、3日休んだから体が動いたけど、日々落ちてくる。微妙な体重移動なんかが上手くいかない。」と、思うようにならないゴルフに肩を落としました。
1日早い勝負服を着用した理由は、「今日が一番テレビに映るというのがわかったからだよ(笑)。」と、ジョークでかわしたが、優勝に近い位置でプレーすることで多くのファンが来てくれることを見越してのジャンボ流ファンサービスでした。
往年の優勝争いを思い起こす雄姿に、ギャラリーも大喜びで、これには、「(ギャラリー)多かったな〜。話題が提供できたのかな。」と、満足気な表情を浮かべました。
<3番、第2打を放つがイマイチの表情>
<4番ホールで右谷にティーショットのボールを落とし
狙う方向をジャンプして確かめる>
<9番ホールでショットが乱れたがパーで上がり笑顔を見せる>
「つるやオープン」最終日。
最終日は5オーバー76、通算2アンダーの51位で4日間を戦い終えました。
約3年半ぶりのアンダーパーの健闘に、最終18番では万雷の拍手を浴びました。
4日間を歩き通して、疲れはピークにきていましたが、「4日間歩けた喜びはある。今週はうれしかったな。声援もすごいし。ここ(レギュラーツアー)にいてよかったと思う。」と。
大会後、ベストスコア賞、エージシュートへの表彰を受け、純銀製の記念盾と賞金を受け取りました。
同じ18番グリーン上で表彰式を待つ松山英樹プロを抱き寄せ、一緒に記念撮影。
「すばらしいね。ナイス優勝。プロのゲームだったね。遼がいなくなって、彼が引っ張ってくれないとおもしろくない。」と。
21歳の快挙を祝福すると同時に、今季から米ツアーを主戦場にしている石川遼プロの“後継者”として期待を寄せました。
<初優勝を挙げた松山プロ(右)と手を振るジャンボ尾崎>
実弟のプロゴルファー尾崎健夫(59)さんの夫人だった人気女優、坂口良子さんが3月27日に57歳で死去されました。
義妹さんの密葬でジャンボ尾崎は号泣したという。
もしかすると、坂口良子さんが悲しみにくれる皆さんのために、天国から見守ってくれたのではないでしょうか・・・・・・
ジャンボが、1度もシニアツアーでプレーをせずにレギュラーツアーに固執しているのは、再び優勝の感動を味わいたいからという。
66才のジャンボ尾崎の、ドライバーが飛び、アイアンが切れ、パターも入り、不死鳥のごとくよみがえりました!
年齢を4つも下回る62というビッグスコアでエージシュート達成です!
国内男子レギュラーツアーでのエージシュートは史上初の快挙です。おめでとうございます!
世界殿堂入り選手がまた一つ伝説を刻まれました。
▽エージシュート
1ラウンド(18ホール)で、自分の年齢以下のストロークでホールアウトすること。
日本ゴルフツアー機構によると、米ツアーでは1979年のクアッド・シティーズ・オープンの第2ラウンドでサム・スニード(米国)が67歳で「67」を記録したのが初めてです。
スニードは最終ラウンドも「66」で回りました。
アーノルド・パーマーは71歳の時に複数回(正確な数字は不明)マーク。
日本のシニアツアーでは、81年の関東プロシニアの第1ラウンドで中村寅吉プロが65歳で「65」をマークしたのが初めてです。
青木功プロはシニアで3度達成しています。
<(左から)中嶋常幸、青木功、尾崎将司の「AON」=2012年10月11日>
ジャンボは歴代1位のツアー通算94勝。生涯賞金約26億9000万円。
12度の賞金王に輝いたレジェンドも、寄る年波には勝てず近年は成績が低迷していました。
昨季は22試合に出場しましたが、一度も予選を通過できず、プロ43年目で初めて一円も稼げませんでした。
「ひそかにベッドの中で泣いてるんだよ。それをはね返さないと、現役続行とは言えないだろう。」と。
青木功プロらかつてのライバルたちがシニアツアーに参戦する中で、かたくななまでにレギュラーツアーにこだわるジャンボは、結果を残すための道筋を模索し続けていました。
昨年12月からドライバーのシャフトの長さを1インチ伸ばし、使ったことのない46インチの長尺ドライバーを使用しました。
「試合で使うためには、練習ではさらに1、2インチ長いドライバーを使って、慣れないといけない。」とも。
ゴムを用いたトレーニングで肩の可動域を広げ、タイヤを引っ張って足腰を鍛え直したのです。
今季からはクラブを一新しました。大ベテランにとって異例の選択のすべては再び勝つためでした。
一般なら定年退職を過ぎた66歳です。
肉体的に老いを痛感する年齢なのに記録を作った裏側には、「勝利への執念」という衰えない精神力と、「豊富な練習量」があったからなのです。
2013年の“ジャンボ劇場”が大いに楽しみですね。
頑張れ、ジャンボ!
<さあ行こう!と腕まくり!>
<パナソニックの看板の前でショット>
You Tubeでご覧ください。
<朝の練習場にて、霊峰・富士をバックにショットの調整を行う>
You Tubeでご覧ください。
<スコアボードの石川遼の8番にホールインワンを示す「1」の数字>
You Tubeでご覧ください。
<「ISPSハンダ・オーストラリアン女子オープン」初日>
<「ISPSハンダ・オーストラリアン女子オープン」3日目>
<画像は「ゴルフの名言【日々是口実さがし】」より>
<「CNカナディアン女子オープン」2日目>
<「CN カナディアン女子オープン」3日目>
<「CNカナディアン女子オープン」最終日>
<工房用しめ飾り>
<自宅用しめ飾り>
<那須温泉神社>
<ご神木>
<鳥居のはるか向こうは那須塩原市?>
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
≪エバゴルフ工房≫
<ツルウメモドキ>
<よつどめ>
<よつどめ>
<サンキライ>
<小針春芳プロの代理で出席された長男の良一さん>
以下は、第1回「日本プロゴルフ殿堂」顕彰者の7名です。
(内容は「日本プロゴルフ殿堂」のHPを参考にさせていただきました。)
<小針春芳プロ>
<ブルーベリーの木>
<9月12日のブルーベリー>
<約2週間後の乾燥したブルーベリー>
<ラム・ブルーベリー、抹茶、コーヒー、プレーン、シフォンケーキ>
<各シフォンケーキにホイップクリームなどをプラスして>
<ブルーベリーの紅葉>
<自宅のミニブルーベリーとパンジー>
<去年の紫式部のリース>
<今年作製したリース。お世話になった方々に差し上げ、
手元に残ったのは一個だけ>
この私、車の運転免許習得の際、教官に「はい次を、右に曲がって」と指示されると、「ウインカーを左に出して左に曲がろうとした」という前科約5犯の持ち主です。(笑)
友人からの電話で、「紫式部が植えてある場所を発見したので行ってみたら」とのこと。
早速、電話で教えてもらった場所の「左側」を車の中からじーっと見て探しましたが、見つかりませんでした。
その後の電話で、「右側」であることが判明しました。(笑)
後日「右側」の空き地に紫式部の存在を確認し、持ち主の方のお住まいであろうかと思われるお宅に伺いました。
持ち主の方はとても好感の持てる方で、訳を話すと「全部持って行って下さい。他に欲しいものがあったらなんでも全部持って行っていいですよ。」との事!
初対面の、どこの馬の骨か豚の骨(笑)かわからないこの私にですよ!感激しました!
(縁は奇なものですね。お話を進めていきますと紫式部の持ち主の奥様と、あの小針先生は従妹同士ということがわかりました。ビックリです。)
丁重にお礼を述べて頂戴し、お蔭様で、大きな紫式部のリースが完成しました。
そのリースを車に積み、2012年の流行語大賞の候補をもじった「大きい紫式部のリースって、ワイルドだろぉ?!」という「おち」も用意し、材料を快く提供して下さった方、「来年はあげますよ」と言って下さった方々にお披露目しながら「道の駅」に持って行きました。
ところがです、帰宅してから愕然としました!
毎日がアルツハイマーのような生活をしている私です。(笑)歳は取りたくないけど笑いは取りたいこの私目が、用意していた「おち」の存在をすっかり忘れていたことに気づきました!もう悔しくて悔しくて・・・(笑)
新しい工房に、大きな紫式部のリースが飾ってあります。
<エバゴルフ工房内のリース>
これは、「那須の神様」といわれ、「栃木県においてプロゴルファーの第一号」であり、色んな大会で素晴らしい成績を残し、「日本プロゴルフ殿堂の第一回表彰者7人の一人」に選ばれた小針春芳先生のお庭にあった紫式部を頂戴して作ったリースです。
実は、小針先生の「私の生きた刻(とき)」の最終回をブログで紹介するに当たり、先日、パートナーに近況を伺って来てもらいました。
帰宅したパートナーが開口一番、「小針先生の庭に立派な紫式部があったよ!」と。
早速、先生の許可を得て、お天気の良い日に、頂きにあがりました。
枝を切らせてもらっている最中、その横のコンクリートに、小針先生の奥様が座られ、色々お話して下さいました。
30分程の奥様の会話の中には、ネガティブな言葉はほとんど登場しませんでした。
それに引き替え「幸せで、幸せで、楽しくて、楽しくて・・・」という言葉が何回も何回も登場しました!
話がそれます。後期高齢者の次は、末期高齢者と言うギャグがあります。(笑)
11月16日衆院が解散し、12月16日の衆院選投票日に向け、政界は「冬の陣」真っただ中です。
政治家の皆様、そして政治家を志されている皆様、日本の後期高齢者・末期高齢者の皆様全てが、小針先生の奥様のように「毎日が幸せで、生きていることが楽しくて、楽しくて」と言われるような社会をどうぞ作って下さい!
パートナーが、91歳の小針先生宅に伺った時、「楽しみは、テレビでゴルフの競技を観戦すること」と、おっしゃっていたそうです。
お庭には今もゴルフボールがたくさん転がっています。
そんな小針先生と奥様のお住まいのお庭にあった紫式部で作ったリースが、新しいエバゴルフ工房に飾ってあります。
恐らく、霊験あらたかなるであろうこのリースには、ゴルフの腕前も上がり、願い事も叶う力が宿っていることでしょう!
ゴルフの上達を望む方、どうぞ当工房に足を運んで下さり、この紫式部のリースにお願いされてみてはいかがでしょうか?きっと・・・・・
尚、今年、紫式部のリースを差し上げられなかった皆様、ごめんなさい。
<ゴルフの季節となってきました。私も体調を戻して再びグリーンに立ちたいと
思っています=那須塩原市の自宅にて>
「私の生きた刻(とき)」 プロゴルファー
小針春芳さん(89) ?飛 躍
海外メジャー制覇願う
<紅葉の見ごろを迎えた「つつじ吊橋」>
<「殺生石」を背にして撮影>
<「つつじ吊橋」へ行く途中、車窓より撮影>
<駐車場から木道を歩いて目的地へ>
<あ!見えてきました>
<結構混んでいます>
<地上よりかなり高い上に結構揺れます。>
<吊橋からの眺望。茶臼岳が見えます>
<さあ、帰りましょう>
<自分だけどんどん先に行ってしまう我がパートナー。
あなた!老いていかないで!笑>
<木道沿いのもみじ>
<「那須高原展望台」は恋人の聖地だそうです>
<額縁のように見えます>
<まるで紅葉のパッチワークのよう>
<おまけです。「峠の茶屋」へ行く途中の駐車場。白樺の木々があります>
<橋の真ん中から遥か下の光景が見えます>
秋は多くの形容詞が似合う季節です。
「芸術」「収穫」「味覚」「食欲」「スポーツ」「行楽」「読書」など、実にさまざま。どれも前向きなイメージが浮かびます。<下野新聞「雷鳴抄」より>
今日は、拙宅の庭のあけびを取り、「収穫」と「味覚」と「食欲」の秋を楽しんでみました。
中味は、甘くておいしいですからそのまま食べ、残りは漬物に利用しました。
皮は捨てずに料理しました。
山形地方では、この皮を食べるためにあけびを植えるのだそうです。
ではまず、「あけびの味噌炒め」です。
<あけびの味噌炒め>
あけびの皮は固く、「錆」のようなものが付いていたりするし、苦味を少なくするためにも、薄く薄くむきます。これは私だけかも?
フライパンで豚のひき肉を炒め、色が変わったら、適当に細切りにしたあけびを入れ炒めます。
さらに、酒・砂糖・味噌・みりんを入れ、水分がなくなるまで炒めます。
ほんのりと苦みがあり、秋の大人の味?とでも言いましょうか・・・・・
<あけびのかき揚げと栗の渋皮揚げ>
玉ねぎ・青ジソの葉はきざんでおき、油の温度が上がってから、あけびを細切りにし(先に切って置くと真っ黒になってしまうので)、干しエビを混ぜ、天ぷら粉のころもでくるんで揚げます。
画像は、あけびを先に切って、黒くなってしまった失敗作です。笑。
この時、クッキングシートをかき揚げ一個分が乗る位の大きさに切って、その上に乗せて揚げると、壊れずにきれいに揚げられます。
やはり、ちょっと苦味のあるおいしい一品です。
おまけに、「栗の渋皮揚げ」です。
栗は鬼皮だけをむき、渋皮を付けたままで5分程素揚げにします。これもおいしいですよ。
そしてあけびの実を使った漬物です。
<あけびの実を使用した漬物>
<実を取ってから干します>
<秋の「那須フラワーワールド」>
<おまけです>
<「那須フラワーワールド」を去り、ドライブを続けると、こちらをじーっと見ている「アルパカ牧場」のアルパカ君に会えました。>
<もう少し行くと、前方に「マウントジーンズ那須」が見えました。>
<遥か彼方に見えるのは。白河の街だそうです。ここ「マウントジーンズ那須」周辺では全く紅葉はしていません>
「那須フラワーワールド」で作業をなさっている方にお聞きしますと、今は「アネモネ」を植えている所だそうです。
春は、雪化粧を残した那須連山を背景に、10万本のチューリップから始まるそうです。
アネモネ、リビングストーンデージー、ポピー、ルピナス、バラ、クレオメ、へメロカリス、サルビア、マリーゴールド、ケイトウ、コスモス・・・・・
来年の春にはぜひ、10万本のチューリップに会いに行きたいものです。
プロゴルファー 小針春芳さん(89) ?ライバル
節目で必ず絡んだ寅さん
私と中村寅吉(なかむらとらきち)さんがライバルとして取り上げられることもありましたが、違います。中村さんは私にとってあこがれであり、目標でした。
私がプロとして認められるきっかけとなった、第2回関東プロ招待競技(昭和15年、那須GC)にも中村さんは出場していました。25歳の新進気鋭のプロでした。不思議と私の競技人生の節目には必ず中村さんが絡んできました。
初優勝した安孫子CCでの関東プロ(1955年)。マッチプレーによる決勝の相手は中村さん。逆転の4 アンド3で当時、日の出の勢いの中村さんを下しました。この1勝はプロとして食っていけると自信になりました。
昭和34(1959)年の関東オープン(鷹の台CC)では8度目、4連覇を狙う中村さんに私がストップをかけて優勝しました。2日間72ホールストロークプレーで、初日36ホールを145ストロークでトップに立った私が逃げ切った試合展開です。2位は2打差で石井朝夫(いしいともお)さん、中村さんは4打差でした。
私が勝った関東プロゴールドシニア(1989年)でも最後まで優勝争いをしたのが中村さん。私の初めてのカナダカップ(オーストラリア・メルボルン)も中村さんと出場しています。
フックグリップで構え、左腰の鋭いターンで目標にボールを運ぶドライバーの技術。飛距離を出すために考えたのでしょうが、自分のものにするには、並大抵の努力ではなかったと思います。アイアンの切れも素晴らしかった。フェード回転で高速グリーンでもピタピタ止めてきました。技術的にも勝てる相手ではありませんでした。
「パットの神様」とも評されましたが、ショートパットは苦手のようでした。中村さんの優勝で最も有名なのが昭和32(1957)年、霞ヶ関CCで行われたカナダカップ。その時は高速高麗芝でさえにさえ渡ったパットですが、短いパッティングは中村さんの唯一の弱点ではと思っています。ショートパットを残して他人のパットを待っているのが、ジリジリして嫌のようでした。だから、「お先に」が多かったようです。外すこともありました。
私は目立つことが苦手で、ウエアは無地がほとんど。移動の際も背広にネクタイ。それに対して中村さんは柄物のブレザーに開襟シャツ。ほとんどのプロが移動手段は汽車、バスの時代にスクーターで現れました。車を購入したのも早かった。だからよく比較されました。
スウィングは私と全く違っていて、参考にすることはありませんでした。でもグリーン外からパットで寄せるアプローチの技は盗みました。パターはテキサスウエッジとも呼ばれました。中村さんは通常より、ギュッと強く握って対応していたのです。このテクニックはお手本となりました。
裏表のない人、さっぱりした人でした。亡くなる2年前に中村さん、林由郎(はやしよしろう)さん、小野光一(おのこういち)さんと伊勢原CC(神奈川)でラウンドしたのが最後となりました。
体の具合が悪いなんて知りませんでした。亡くなられたのが2008年2月。2年経ちます。返す返すも葬儀に参列できなかったことが残念でした。なぜかどこからも連絡がなかった。皆さん誰かが私に知らせたと思ったのでしょう。訃報を知ったのは数日たってからです。びっくりしました。4月にPGA(日本プロゴルフ協会)、LPGA(日本女子プロゴルフ協会)合同で都内で開かれた「お別れの会」には出席しましたが、一生の不覚でした。 (構成 井上孝男さん)
以上は、2010年5月8日、下野新聞「私の生きた刻(とき)」に掲載されたプロゴルファー小針春芳さんの記事です。今回はその12回目です。1〜11回は以前の私のブログをご覧ください。
小針春芳さんは、現在91歳になられとてもお元気です。
また、栃木県のプロ第一号である小針春芳さんは、「偉業を称え、未来を拓く。ゴルフから」のスローガンで設立された「日本プロゴルフ殿堂」の第1回表彰者7人の一人に選ばれ、2012年3月26日に表彰されました。おめでとうございます!!
10月8日体育の日、快晴。
中には、もう咲き終わってしまった彼岸花もあり、あと少し早く訪れた方が、もっともっときれいな「彼岸花群生地」の風景に出会えたようです。
ちょっと残念です。
カテゴリは「わが街紹介」にしましたが、蓑沢はお隣の那須町なので、「となり街紹介」の方が正解かな?
<悩みなど捨てよと咲けり彼岸花> 中里カヨさん
きゅうりのからし漬け
1月25日、宇都宮市内で「こうのとり」の撮影に成功したそうです。
でも、「こうのとり」とは、赤ちゃんや幸せなどを運んでくれるあの「コウノトリ」ではありません。
「こうのとり2号」は、漆黒のキャンバスに浮かぶ国際宇宙ステーション(ISS)に、物資を運ぶ「無人補給機」のことです。
(肉眼で見える日時や方角などを事前に調べ、25日午前5時25分ごろ、30秒露光で「こうのとり2号」の撮影に成功したそうです。)
「こうのとり2号」には、食料や衣類、日本の実験棟「きぼう」で使う装置のほか、インドネシアなど東アジアの4カ国から託された植物の種も積まれているそうです。
「こうのとり2号」は、天空のISSにしっかりと「幸せ」も届けて下さったでしょうか・・・・・
<こうのとり2号>
<国際宇宙ステーション(ISS)>
<土井隆雄宇宙飛行士が『きぼう』船外保管庫を取り付けたISSを、
分離・帰還途上のスペース・シャトル『エンデバー』から撮影>
<土井隆雄宇宙飛行士と宇宙飛行士の方々>
<日本の実験棟「きぼう」>
<米スペースシャトル「エンデバー」>
<お月様>
<夜景>
この宇宙のどこかに浮かんでいる国際宇宙ステーション(ISS)。
その保管庫には、「平原綾香さん」の「星つむぎの歌」が納められ、地球のまわりをまわり続けているそうです・・・・・・
なにやらロマンあふれる物語がありそうですね・・・・・・・
<平原綾香さん>
My Daughterは、歌がとても上手で、その上「絶対音感」を持っています。
でも、母であるこのBetter Halfは、音痴です。笑。
しかし、それにもめげず?歌を聴くのは大好きです。
歌詞も曲も素敵で、抜群の歌唱力の方の歌に出合うと、熱にうなされたように何度も何度も聴き続けます。笑。(ウォークマンなので周りには迷惑にならないと思います・・・・)
皆さんは、日本の歌姫である「平原綾香さん」の、「星つむぎの歌」を御存じでしょうか?
「星つむぎの歌」 平原綾香
作詞:星つむぎの詩人たち・覚和歌子
作曲:財津和夫
空の青さが なつかしいわけは
小さな僕らの昨日があるから
見上げることが うたにてるのは
夢の続きが そこにあるから
かすかな声が どうか届くなら
伝えたい 遥か旅立つ君に
僕らは一人では生きていけない
泣きたくなったら思い出して
風に消えない願いのような
星の光でつむいだ歌を
君の指先 ぬくもりのわけは
ひそかに波打つ鼓動のしるし
こぼれた涙 跡をたどるなら
それが明日の 星座にかわる
からだを超えて 祈りをつないで
ふたたびまた ここでめぐりあえるよ
僕らは愛さずに生きていけない
こわれる心に 口ずさんで
同じ時代と ひとつの空に
奇跡のかけらで つむいだ歌を
僕らは一人では生きていけない
泣きたくなったら思い出して
風に消えない願いのような
星の光でつむいだ歌を
<覚和歌子さん>
全国から世代を超えて(7歳から80歳まで)寄せられた言葉達は、延べ2690とか。
同曲の作詞者の欄に記載されている“星つむぎの詩人たち”とは、フレーズを考えた応募者の皆さんの事です。すてきなネーミングですね・・・・・
つむがれた詞に、「チューリップ」の財津和夫さんが慈しみの曲をつけられ、天界の声で平原綾香さんが歌い、2008年1月「星つむぎの歌」が誕生しました。
<チューリップさん>
<財津和夫さん>
平原さんは打ち上げ前日の3月10日、土井さんのお招きで現地入りし、土井さんの奥様のひとみさんから礼状を受け取られました。手紙には「すてきな歌ですね」と書かれてあったそうです。
シャトルの打ち上げ後、平原さんは、「小さい頃から宇宙が大好きでした。生きててよかった。人間が宇宙に行く瞬間を見られて光栄でした。たくさんの人の思いが込められたこの曲を、土井さんが宇宙に運んでくれました。この曲が宇宙で流れたら、とてもうれしいです。」と話されたそうです。
<平原綾香さん>
NASAは「ウェイクアップ・コール」(目覚めの曲)として、毎朝、飛行士やその御家族のみなさんが希望される音楽を流しています。
3月19日には、「星つむぎの歌」 が「スペースシャトル・ウェイクアップ・コール」となり、宇宙空間から世界へと流れたそうです。
現在でもこの歌は、国際宇宙ステーションの保管庫におさめられ、地球のまわりをまわり続けているとか・・・・・・・
137億年前の宇宙誕生以来、紡がれてきた物質の連鎖は、38億年前に、この地球で幼い「いのち」を生み、以来さまざまないのちのリレーによって、他ならぬ私たちの「いのち」に受け継がれてきました。
わたしたちの体には、はるか137億年の宇宙の歴史が刻まれているのです。
小さな草花も、大空を飛んでいる鳥たちも、海の魚たちも、いのちあるすべてのものたちが、宇宙からの贈り物なのです・・・・・・・・・
2010年3月10日未明、樹齢1000年以上とも言われ、永きに亘り鎌倉の長い歴史を見つめてきた鶴岡八幡宮の「大銀杏」が、強風のため倒伏してしまったことは、皆さんもご存じのことと思います。
その後、「大銀杏」は自ら再生し、一面が輝くような新芽の緑に覆われ、短期間で驚くほどの成長を遂げたそうです。その新芽は、未来に向かって希望の葉を伸ばし続けているそうです。
2010年8月28日、 「大銀杏の芽吹きに 歌をささげる」というテーマで、第5回「鶴岡八幡宮 奉納ライブコンサート 鎌倉音楽祭 鶴舞2010」が開催されました。
<鶴岡八幡宮 奉納ライブコンサート 鎌倉音楽祭 鶴舞2010>
第一線で活躍する音楽アーティストの皆さんが一堂に会し、素晴らしい楽曲を鶴岡八幡宮に奉納されたそうです。
そのライブコンサートで、平原綾香さんは、「私にとっては、宇宙デビューの曲でもあります。」と述べ、「星つむぎの歌」を熱唱されたそうです。
その時の様子です。どうぞごゆっくりお聴き下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=2tPiBqm0e00&NR=1
多くの想いがこめられたこの歌は、多くの人に歌い継がれ、現在もなお人々の心をつなぎ続けています・・・・・・・・・・・・・
最後に「宇宙連詩ギャラリー」より、私の心に残った一番ステキな詩をお届けします。
住所は村ではない 町でも県でも国ですらない
住所はこの惑星 そして銀河系
光にみちびかれ 闇にひそむエネルギーに抱かれて
谷川俊太郎さん
<平原綾香さん>
では、またお会いしましょう。ごきげんよう。
1月22日(土)「黒磯初市」が開催されました。
<縁起物熊手>
以下は、次の日の23日、下野新聞に掲載された「黒磯初市」の記事です。
(下野新聞 県北・日光版 1月23日より)
今年、私はなんと約10年ぶりで「黒磯初市」ウオッチングをして来ました。
<ヨークベニマル屋上駐車場より撮影>
<人、人、人・・・・>
<造花もあるんですね>
<アメちゃん>
<リンゴあめ、イチゴあめ、キウイあめ、ミカンあめも・・・・>
<綿菓子、お面・・・>
<おや、こんなものも・・・>
<バイクも・・・・>
<餅つき、がんばって!>
<黒磯巻狩太鼓>
<だるまさん>
<縁起物お飾り>
<今年はうさぎ年です>
<植木、苗木、鉢花>
ブルーベリーの苗木を(気持ちだけの募金をして)頂いてきました。
さて、この木が大きくなり、
実を収穫できるのは何時?
<ツイッターへ 「黒磯初市」なう>
Better Half
「私の生きた刻(とき)」
<平成元年から15年間開催していただいた「小針プロを囲む会」の1コマ。
左が鹿毛隆男プロ、右端は故増渕英男プロ(元日光CC支配人)。那須GC。>
プロゴルファー 小針春芳さん(89) ? 一期一会
?空手チョップ?も指導
小鳥のさえずり、光のきらめき。
ゆるゆると、素敵な時間が過ぎていく、至福の新年の日々。
雲は悠々と空の海を泳いでいます・・・・・・・・
私にとっての一期一会は「雲」かなあ・・・・・
<小さな手紙 天使の階段より>
一期一会の大スペクタクルの空、そして雲が好きです。
那須塩原市でキョロキョロと上を見ながら歩いている人を見かけましたら、
多分、私かもしれません。笑。
「Better Half さんですか? 」と声をかけてみて下さい。
いつも心が温かくなる詩をお書きになる「工藤直子」さん。
そんな工藤さんの詩の中から、「はじまり」という詩をご紹介します。
「はじまり」
あんまり静かなので
空に向かって
「おーい」と言ってみる
呼んでも呼んでも・・・・・しーん
太陽が 綿雲のてのひらで
イナイ・イナイ・バーして
あそんでいるばかり
こんなふうにはじまるのも
いいもんだな と
思える一日
うん
なにか はじめたくなる日
詩 工藤直子
どうぞ今年も、パソコン県、ネット郡、字ブログ村の「Better Half ワールド」に、時々遊びにお越し下さい。
何のお構いも出来ませんが、お時間の許す限り、どうぞごゆっくりなさって下さい。
Better Half
これは、「店主の商品へのこだわりや生きざまに焦点を当て、(栃木)県北地区のさまざまな店を紹介する」というすばらしいコーナーです。
そこに『エバゴルフ工房』を掲載していただくとは、なんと光栄な事でしょう!本当にありがとうございました。
以下にその内容を記載させていただきます。
続・店に人あり
味わいの心紹介 27
エバゴルフ工房 (那須塩原)
江場友幸 (59)
癖見抜き クラブを製作
「スイングやクラブの傷を見るだけでも癖を見抜くことができるんです。」クラブのオーダーメードや修理、調整に携わり35年。直せる癖と直せない癖を見極め、その人に最適なクラブを導き出す。
東京で服飾のデザイン学校に在学中、当時主流だった材質、パーシモンのウッド製造工場で技術を学び、約1年で製造を完璧にマスター。その後、兵庫県姫路市のアイアン製造工場へも勉学の傍ら月10日ほど通い、1年ちょっとで技術を習得した。
26歳からクラブ作りに専念、プロなどにも口コミで評判が広がった。県内の大会に参加していたジャンボ尾崎プロも評判を聞きつけ、ドライバーの製作を依頼した。
「もの作りにベストはない。いくら出してもいいからほしいというクラブを作りたい」と探究心は尽きない。
近年、お客の顔が見えないネット販売が増加。業者からネット販売をもちかけられることもあるが「無責任な商売はしたくない。」全国どこからの依頼でも、一度会ってスイングを見たり話を聞いたりするのが基本。最低でも使用したクラブを送ってもらうことが依頼を受ける条件だ。
「ゴルフ場の利用料を安くしてもいいことはない。(値段が高くても整備の行き届いた)名門コースを日本にも造ってほしい。」ゴルフに対する情熱は人一倍だ。(高嶋等さん)
およそ物を作る人は、必ずその人独特の「こだわりの哲学」を持っているものです。
我がパートナーは、それがとても顕著な人で、「職人気質」が非常に強く、クラブ作り・修理・調整等に関しては、人様の二倍も三倍も百倍も強いこだわりをもっています。
それに同調して下さったお客様のお蔭で、ここまで歩いて来れました。
そして今、『エバゴルフ工房』が新聞に掲載されました。
『エバゴルフ工房』の歴史の中でも、大きな「素敵な事件」です。
この「素敵な事件」に出会い、今までの全ての事が感謝の気持ちへと昇華していくような気がしてなりません・・・・・
なんて果報者なんでしょう。これから歩いていくうえで、「大きな励み」となりました。
これは気の早いサンタクロースさんからの粋なプレゼントなのでしょうか?
サンタさんやもしかしたら神様に、いっぱい感謝したい気分です。
このお礼を、私達はどうすればいいのでしょうか?????
そしてこれを機に、益々精進しなければなりません・・・・・
「一生懸命やっていると、認めてくれる人が必ずいるものですよ。」
これは、私が常々心から尊敬し、お手本にさせていただいている、「アットサポート」の原田先生(パソコンの先生)から頂いたお言葉です。
胸に響きます・・・・・
さあ、また頑張って一歩ずつ歩いて行こう!
そしていつかまた会えますように。「素敵な事件」に・・・・
Thank you for everything. Better Half .
<有限会社 フローリスト花子 黒磯本店さん>
<「花子黒磯本店」さんの外観をご覧下さい>
<ハロウィン商品が入荷しました>
<生け花切り花>
生け花用・アレンジメント用等、季節によっていろいろな場面に対応したお花が
いつも用意されています。
<鉢花>
季節のギフトや、毎日の生活を潤してくれる鉢花が揃えられています。
<店内の棚を自然な雰囲気に改装されました>
<観葉植物>
<グリーンリーフ>
<花器の一部>
<ちょっとひと休み>
<「ガーデニングハウス花こまち」さんの外観をご覧下さい>
<花苗がたくさんあります>
<コニファーの庭>
<花の庭>
<ちょっと休憩>
<「ガーデニングハウス花こまち」さんの内部の様子です>
<寄せ植え>
<和の庭>
<シード(種)>
<ブライダル部門 >
ブライダル・プロデュース
華やかな結婚式にふさわしい、ブーケや会場装花、
記念の花束など、すてきな一日をお手伝いいたします。
<葬祭部門>
セレモニー・プロデュース
大切な日に、思い出に残る仏花スタンドや、花祭壇をお作りいたします。
お葬式・ご法事のタイプに合わせてお手伝いいたします。
<コーディネイト>
各種イベント、お祝い、パーティーなど、
お花の出張コーディネートも承っています。
<ギフト>
毎日のようにお花を入荷して、花束、アレンジなど、
常にお客様の御要望にお答えできるよう準備しています。
<フラワーアレンジメント教室&ガーデニング教室>
お庭に咲いた花々を、少し手折って食卓にアレンジメントを作ってみる。
季節のお花を寄せ植えして、玄関を賑やかに飾ってみる。
菜園に種を蒔き、育てた野菜をいただいてみる。
毎日の生活をより楽しく豊かにするお手伝いを、フラワーアレンジメント教室やガーデニング教室で教えてくれます。
<球根の詰め放題>
俵万智 】
<「有限会社 フローリスト花子」さんの情報>
フローリスト花子 黒磯本店(フラワーセンター)
住所 :〒325-0038栃木県那須塩原市豊浦北町74-112
TEL:0287-62-3487 ・ FAX:0287-62-9087
営業時間 :AM9時〜PM9時まで
Better Half
<月桂樹と紫式部のリース>
地球は、およそ46億歳になるそうです。
そして、地球上に「土」が誕生したのは、約4億年前だそうです。
【土の来歴は、太古の海辺にさかのぼります。
最初、海から上陸した地衣類は、硬い岩の割れ目に入り込み、そこで微生物が活動して土が作られ始めたとされています。
土は一年間にわずか0.5ミリから1ミリほどしか堆積しないそうです。
枯葉や動物の排泄物、死骸などが積もり、それを土壌微生物が有機物から無機物に分解し、植物が利用できる土になるそうです。
土は多様な生き物の営みで作られているのです。】
曳地トシ・オーガニックガーデンプランナーさんの、「オーガニックガーデンのすすめ」より
以下は世界にたった一つのリースたちです。
<月桂樹のリース>
<紫式部のリース>
<葉付きの紫式部のリース>
<アジサイのリース>
46億歳の「命の惑星・地球」の、4億歳の土に、ご近所から頂いた苗を植えてあげたら、地球が勝手に育ててくれました。
別にこの世に無くても困らない、世界にたった一つの、「月桂樹と紫式部の命のリサイクルのリース」を作りました。
それを、普段お世話になっている方に差し上げましたら、思いがけず「手作りのお料理」になって戻って来てくれました。
<縁>が、まあるい<円>になったようです・・・・・・・
誰もが、、「命のバトン」を受け取り、「自分という大河ドラマ」の中で、「自分の番」を演じて今日を生きています。
私はかなりのお宅派で、物理的には、笑ってしまうぐらい狭い行動範囲のなかで日々を送っています。 笑。
ここ数日、空いた時間に、とても狭い自分のテリトリーにある材料で、お金をかけず、こんな事をしながら自分のドラマ?を演じていました。
さわやかな秋の陽射しの中、この世にたった一つしかない手作りのリースを作る・・・・・
「あの方に差し上げよう」と思い作っているその時間も、そっくりそのまま「時間のプレゼント」になります・・・・・・・
HP・ブログ・Twitterとは異質の、物を作るという行為も、なんと楽しい事でしょう!
「みなさんの大河ドラマ」の今日と言う一日は、どんな物語のシーンが展開されたのでしょう?
人生の事実は単に素材で、そこから何かを作るのが人間の仕事である
<紫式部のリース>
<ラムズイヤー、月桂樹、アジサイのリース>
<(実際はミニの)紫式部のリース>
小さな庭の片隅に
幸せ祈り記念に植えた
バラの苗
毎年数増す紅き花
あれから何年過ぎたのかしら
何事もなく花の香楽しむ幸せを
家族と共に分け合って
天にも
地にも
ありがとう
(作者不明)
<枝豆のごはんとお味噌汁>
<自家製枝豆・湯上り娘>
<はるか向こうに那須塩原駅が見えます。ここは「プリンセス通り」です。>
<那須塩原駅です。>
<那須塩原駅です。>
<上空に警護に当たられているヘリコプターが到着しました。
もうじきお見えになります。緊張します。>
<あ!とうとう皇太子様ご一家が乗車されているお車が到着されました!>
<皇太子様、次に皇太子妃雅子様が降りられ、お手ふりなさって
下さいました。旗さん、旗さんおじゃまですよ・・・・・>
警護に当たられている私服警官さんは、スーパー残暑の中、紺色の長袖のスーツ姿で、神経を研ぎ澄まして周りに注意をめぐらされ、それはそれはお気の毒な位たくさん汗をかいています。ご苦労様です。
<皇太子様、皇太子妃雅子様、ありがとう!>
<愛子様とお話し中でしょうか?>
<雅子様がまだお手ふりして下さっています。>
<どうぞお気をつけてお帰り下さい。>
今回、残念な事に、愛子様の正面からのお姿は拝見できませんでした。
愛子様のお心はそっとオブラートにお包みして、心のデジカメで、ソフトフォーカスで・・・・・・・・・
大丈夫、きっと大丈夫、絶対大丈夫!
「お見送り初心者の方は、写真を撮るのだけに気を取られて、皇太子様ご一家を直に拝見する機会をなくしてしまいますから気を付けて下さい。」と、警護にあたられている警察の方がおっしゃっていました・・・・
なんと私はその通りになってしまいました(笑)。その上、カメラの「ズーム」の機能の存在など忘却のかなたへ・・・・・・そんなわけで誠に拙い写真で申し訳ありませんでした。
ノミの心臓どころか、プランクトンの心臓の持ち主の私ですが、早めに那須塩原駅に行き、皇太子様ご一家のお見送りにいらしていた方に、お話を伺ってみました。
あるご婦人の場合、「皇太子様ご一家のご送迎をする。」これがずっと持ち続けていた「夢」だったそうです。
「夢」を叶えるため、9年前に、それまで20年間住まわれていた場所から、この那須塩原市に引っ越して来られたそうです。「ここに来てやっと夢が叶った。」と。
また、皇太子様ご一家が掲載されている週刊誌は、すべて眼を通されているとか。
「皇太子様ご一家には素晴しいオーラがおありになり、会うと元気がもらえますよ。楽しみにしていて下さい。」と言う言葉が印象的でした。
そして、「皇太子様ご一家は私の夢そのものです。」と強調されていました。
皇太子様ご一家は午後4時頃ご到着予定ですが、朝からずっとお待ちになっていました・・・・
また同じく、2年前と4年前、那須塩原市に越されて来て、ご送迎歴2年のお二人のご近所同士のお友達さんのお話です。
以前お二人のお住まいの近くに、天皇皇后両陛下がおいでになられた時があったそうです。
何と目の前30センチ位をお通りになられたとか。
天皇陛下は常にニコニコとなさっていてとてもお優しく、皇后陛下も本当にお美しくて品があり、何といっても、ただようオーラが普通の人とは全然違っていてすばらしく、とても感激したそうです。
「天皇皇后両陛下も皇太子様ご一家も、那須塩原市民の誇りです。ここに越して来て本当に良かった。ご送迎が私達の楽しみです。」と、やはり朝から到着を待たれていました。
もし、私が始終ニコニコしていたら、「やはりとうとうその時が来たか」(笑)と思われるのが落ちです。
でも、雅子様が笑って下さると、我々国民は、元気や、勇気をたくさん頂戴できます。
「雅子様の笑顔にお会いする」ただそれだけを楽しみに生きている人がたくさんいます。
雅子様を気遣い、心からお慕いし、応援している人がたくさんいます。
「雅子様がこの地球に存在して下さる、ただそれだけで掛け値なしにうれしい」という人がたくさんいます。
今回それをしみじみ感じました。
と申しましても、体中の優しい想像力を全部集めて、雅子様のご公務の事などを、一生懸命私なりに想像してみますと、心中察するに余りあります。それはそれは大変なお仕事ですね。本当にご苦労様です。
どうぞお優しい皇太子様のお傍の、心からおくつろぎになれる安全地帯で、お心もお体も表情筋も(笑、失礼)ゆっくりお休み下さって、エネルギーをインプットし、また私達に少しずつ笑顔をアウトプットして下さい。お願いします。
いくつかの人生を卒業(?)し、一時停車のつもりでこの街に降り立ってから、もう30年以上になりました・・・・・ここはもうふるさとです。(気がつくと本当のふるさとより長く住んでいました)
一番最初にこの街で「オヤ?」と思ったのは、お菓子屋さんやお土産やさんの店内に皇室の方々のお写真が飾ってあった事です。
その写真を見て、「ここは那須で、御用邸があって、皇室の方々がご静養におみえになる。そして地元の方々はこんなにも皇室の皆様を愛していらっしゃるのか!」と、感銘を受けたものでした。
今回このブログを作るにあたり、そんなお店屋さんにも取材させていただきました。
「お店の様子の撮影と、雅子様に一言を・・・」とお願いしたのですが、長年の筋金入りの雅子さんのファンなのに、「雅子様にご迷惑をおかけするといけないので・・・・」と掲載をお断りになられたオーナーさんもおられました。
「さすが!プロの雅子様のファンなんだぁ」と感心させられました。(あ!ごめん、書かないで、っておしゃってたのに書いちゃった。あ〜ぁ)
お忙しい中、たくさんの時間を割いて、一生懸命お話しして下さった皆様、ありがとうございました。心から御礼申し上げます。大変楽しい取材でした。
にわかヘッポコカメラマン、プランクトンの心臓を持つ即席記者として取材をしてみて、「人間とはこんなにも温かいものなんだ。人間っていいなあ。」としみじみ感じて帰って来ました。外はスーパー残暑の上に、心はポカポカの春模様。暑くて温かくて・・・・・・
今回、私が取材させて頂いたのは、ほんの一部の方です。
那須塩原市には、皇太子様ご一家を心から尊敬し、お慕いし、応援し、生きがいにさせて頂いている人がたくさんいます。
中途参入者ではありますが、これから私もそのひとりとして皇室の方々を応援させていただきます。
時々、ふとした時の割れ目に、一瞬ワープしてあの時に戻り、皇太子様・雅子様の笑顔を思い出しています・・・・
46億年かけて出来た奇跡の星、地球。
皇太子様ご一家も、私も、この地球と言う奇跡の星で、同じ時代に生まれ、同じ太陽・同じ月・同じ星を見、同じ空気を呼吸して生きて来ました。 それぞれの場所で一人の人間として一生懸命生きて来ました。
すれ違う時の中で、この広い地球中の那須塩原市で、何十年と言う私の人生の中の、ほんのつかの間、憧れの皇太子様ご一家と同じ時間を共有することが出来ました。 本当に良かった〜。
また今度、みんなを幸せにしてくれる「魔法の笑顔」に会いに行こうっと。
那須塩原市の一庶民より
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<総合ランキングトップ50で7位>
<生活・雑貨の人気ランキングで1位>
<上の画像は「エバゴルフ工房」をイメージしていただく為のものです。>
プロゴルファー 小針春芳さん(89) ? 契 約
プレー支えた用品提供
【上記の文章及び画像は、2010年4月24日の下野新聞様よりお借りしました。ありがとうございました。】
上の文中に登場されたみなさんに関連する、ロマンあふれる(セピア色の)画像が少し集まりました。よろしかったら、当時に思いを馳せながらご覧になって下さい。
<第11回カナダカップ>
<昭和38年の第11回カナダカップに出場した石井朝男・橘田規の日本ペア
(団体8位タイ) 左端・謝永郁、2人目・陳清波 日本ゴルフ史より>
<橘田規(きったただし)>
<JGA 日本ゴルフ協会 日本ゴルフ界の足跡を刻む栄光の歴史、
ライブラリー:日本プロの歴代優勝者写真一覧、
ライブラリー:日本プロの歴史より>
<ジーン・サラゼン、ボビー・ジョーンズ、他>
< 20人の名手たちより>
<ジーン・サラゼン>
<歴史を作った名手たち20人 ジーン・サラゼン インデックス、
20人の名手たち、パターが好きやねん!、ロペ倶楽部より>
<石井朝夫(いしいともお)>
<PGA シニアツアー、中日クラウンズ50年の歴史、
日本シリーズ歴代優勝者 第1回石井朝夫(1963年11月5〜9日)、
Choice 2010年7月号より>
<左から石井朝夫、宮本留吉、戸田藤一郎、石井哲雄>
<日本のゴルフを引っ張ってきた偉大なる先達の貴重な1枚。>
<マスターズ13番グリーン上、ピンに当たってバーディパットがカップイン
しなかった。当時(1964年はピンを挿したままパッティングしていた。
翌年から変更に。)>
<1964年マスターズのパー3コンテスト、ニアピン賞の記念プレート。>
<1963年パリで開催されたカナダカップに出場。
後ろにはウインザー候の顔が見える。>
<尾崎 将司>
<徳島の20世紀、ジャンボ尾崎公式ウェブサイト、
日本ゴルフ界の足跡を刻む栄光の歴史、
FUJISANKEI CLASSIC 歴代優勝者、日本ゴルフ史より>
次回、小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」は、「 ? 一期一会」 です。
「Better Half's Diar」で、またお会いしましょう。
ごきげんよう。
プロゴルファー 小針春芳さん(88) ?外国人選手
華麗なスニードのスイング
(構成 井上孝男様)
<カナダカップで人気物だったサム・スニードと
スニードを補佐して話題になった女性キャディの川目くら子さん=霞ヶ関CCで
ヤーデージープラスカードオフィシャルサイト カナダカップから50年より>
<1990年夏 HTBクラシックゴルフでサム・スニード 左 とプレーする中村寅吉
中村寅吉検索Yahoo!画像より>
<サム・スニード 画像は、20人の名手たち 「サム・スニード」、
Golf Legends、Golf Classic よりお借りしました。>
<ベン・ホーガン 画像は、あの人検索スパーシー ベン・ホーガン、
関浩太郎の目黒日記、ゴルフスイングの確信、
ゴルフ・驚異のアプローチ上達法!〜目指せ!100の壁〜
よりお借りしました。>
<アーノルド・パーマー 画像は、20人の名手たち「アーノルド・パーマー」、
ウィキぺデア「アーノルド・パーマー」、
日経ビジネスオンライン 未練から、悟りへ ― アーノルド・パーマー、
GOLF CHANNEL、いい旅.co.jp、
Yahoo!「アーノルド・パーマー」画像検索 よりお借りしました。>
<ゲーリー・プレーヤー 画像は20人の名手たち 「ゲーリー・プレーヤー」、
ゲーリー・プレーヤーゴルフアカデミー、
神奈川クリニック眼科、MYGOLF PAGE、
Yahoo!「ゲーリー・プレーヤー」画像検索よりお借りしました。>
<中村寅吉 画像は、神奈川県ゴルフ協会、amazon.co.jp、
nikkansports.com、Yahoo!中村寅吉の画像検索よりお借りしました。>
<林由郎 画像は、ライブラリー:日本プロの歴史、
ライブラリー:日本プロの歴代優勝者写真一覧、
Hayasi pro Golf Lesson、いいとこ撮り、JGA 日本ゴルフ協会、
Show Time 楽天、深沢ゴルフ工房、Yahoo! 林由郎の画像検索より
お借りしました。>
朝の来ない夜はない。
そして、「誕生日」と「老い」の来ない人生もありえない。
(Better Half 駄作)
「今日いちにちは 映画のヒトコマ ハッピーエンドへの途中」
(フジモト芽子さん)
また一年頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。
漆黒の海に浮かぶ「地球という星」の、生きとし生けるもの全てが、
みんな幸せでありますように!
プロゴルファー 小針春芳さん(88) ?コースレコード
米海軍航空隊GCでは62
<調子が悪い時ほどヘッドでボールを打つ意識をなくし、アドレスで手首と肩で
作られる五角形を意識して動かすことを心がける。「ほとんどのアマチュアは
引っかけで悩んでいるね。フォローで左手首を折らない。基本中の箇本だね。」
Choice 2007年7月号 小春日和。より>
<ヘッドに集中して動かそうとするから、しびれが悪化してしまう。
「動かすのはヘッドじゃなく体、まずは意識を変えないと。」
Choice 2007年7月号 小春日和。より>
<Choice 2007年7月号 小春日和。より>
<Golf Classic 2003年7月号>
<Golf Classic 2007年7月号>
<歴代チャンピオンには、永久にロッカーが用意されているという。
Golf Classic 2006年7月号>
<クラブハウス正面から見て右サイドにはロッカールームの入り口がある。
Golf Classic 2006年7月号>
<正面入り口からしかクラブハウスに入ったことがなかったという片山晋吾。
「ロッカーから中につながっているという情報を初めて知った」と驚き、
ドキドキの初体験。 Golf Classic 2006年7月号>
<これが、報道関係者も入ることができないマスターズのロッカールーム。
Golf Classic 2004年7月号>
<選手用の駐車場にもキャデラックがずらりと並んでいる。
Golf Classic 2002年7月号>
<キャデラックでクラブハウス前に乗りつける丸山茂樹。
Golf Classic 2002年7月号>
<チャンピオンズディナーの会場となる練習グリーン横にあるアイクハウス。
Golf Classic 2002年7月号>
<パー3コンテスト Golf Classic 2007年7月号>
「パー3コンテスト」は自由参加で、本コースとは異なる専用ホール(全9ホール、1060Y、パー27)で実施されます。
このコンテストの出場資格は、?マスターズ出場者?大会には出ない歴代優勝者?名誉招待選手の3つのカテゴリーがあります。
「パー3コンテストに優勝すると、その年の試合では優勝できない」というジンクスは、今も続いています。(過去に青木功が1975年、1981年、中嶋常幸が1988年にパー3コンテストの優勝者になっています。
子どもさんをキャディにしたりして、選手が心からリラックスできるのがこのコンテストです。
以下は、TBS「2007マスターズ」より
以下は、TBS「2008マスターズ」より
以下は、GDO「2008マスターズ」より
以下は、TBS「2009マスターズ」より
以下は、GDO「2009マスターズ」より
以下は、TBS「2010マスターズ」より
以下は、GDO「2010マスターズ」より
以下は、ゴルフのこぼれ話。トーナメント裏話。より。
【「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」の会員について】
「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」は、ゴルフメンバー(会員)が世界中で僅か300人前後という「超プライベートコース」です。
ゴルフクラブからの「招待状」で加盟することができるという事ですが、2009年4月現在、女性のメンバーは存在せず、男性のみのメンバークラブとなっています。(女性はビジターとしてプレーすることは可能です。)
2002年に、『USA TODAY』というアメリカ全国紙で、会員メンバーが発表されたことがあったそうですが、その当時のリストには、日本人のメンバーは存在していなかったという事です。ビル・ゲイツ氏(マイクロソフト会長)や、世界的に有名な大企業の代表が名を連ねていたという事です。
「会員になるには80年待ち」で、今も「予備軍が数万人待っている」と言う事です。
【大会チケットについて】
創設者の「ボビー・ジョーンズ」がこの大会をスタートさせる時、オーガスタ町に住んでいる住民に「チケット購入」を呼び掛け、3万枚位購入して頂いたそうです。こうして地域密着のトーナメントが、スタートしました。
しかし、「マスターズ委員会」が、賞金・運営に資金が足りなく、「もう1万枚購入者を増やしたい」と思い、アトランタ市の業者に依頼しました。
このようにして、現在4万枚・5万枚の「マスターズ・チケット購入者名簿」が確定しています。しかし、その名簿の「ウェイティング」が、何万人もいるらしいのです。
このチケットが、世界の旅行代理店とタイアップして、「観戦ツアー」が行われています。 4日間を通して観戦しようと思うと、なかなかの金額になるようです。昨年は、4日間観戦のチケット代だけでも40万から45万しているようです。(他に宿泊費・航空運賃など・・・・)結果、2009年の観戦ツアー代金を見てみますと、(最終日の観戦を希望した場合)100万円は下らないようです。
<パトロン・バッジ GDO「2008マスターズ」>
<ジュニアパス GDO「2008マスターズ」>
<200年の入場券 Golf Classic 2000年7月号>
<GDO「2008マスターズ」>
<Golf Classic 1995年7月号>
<Golf Classic 2001年7月号>
【祭典を支えるボランティア、パトロンたち】
ボランティア・・・・・「マスターズ」という伝統と権威を、そして個性を際立たせている「ボランティア」は、3000人を越えます。(その上、マスターズ・ウィークの期間、自宅をそのままレンタルして宿泊施設として貸し出す「ハウジング 」の協力者などなどを含めると、その数が4倍ほどに膨れ上がるとも言われています。)
<一軒まるごと借り切って一週間を過ごす。Golf Classic 2004年7月号>
<ボランティアさん達 Golf Classic 1995年・2005年・2006年7月号>
<パトロンさん達 Golf Classic 2006年7月号>
それは、ギャラリーの入場料収入が、賞金金額と深い関係にあるからです。毎年、ギャラリーの入場料収入の変化に応じて賞金金額が少なからず違ってくるのです。
トーナメントのフィールドは、そこで戦う選手だけでなく、ギャラリーもボランティアもコース(舞台)も一体となって溶け合ってこそであるという発想から、ギャラリーに参加意識を持たせるため、 「マスターズ」のギャラリーは「パトロン」と呼ばれているのです。
たとえプロゴルファーであってもそう簡単に「パトロン」になることはできません。観客もスタッフも選ばれし人達なのです・・・・・・・・
【ボタニカルガーデン】
米国・ジョージア州オーガスタ。
そこは、「マスターズ」が開催される「オーガスタナショナルゴルフクラブ」を中心にした静かな街です。
「マスターズウィーク」ともなれば、それぞれの家に「マスターズの旗」が飾られ、スーパーの店内には「特設コーナー」が設置されます。その駐車場は「有料パーキング」に変身します。そして周辺のホテルは5倍〜10倍の宿泊費に跳ね上がり、家を貸してバカンスにでかけてしまう住民もいたりします。
この1週間を中心に町中のすべてのものが動いている、そんな場所なのです。
「オーガスタナショナルゴルフクラブ」から車で約15分の所に、オーガスタ名物「ボタニカルガーデン」があります。
<ボタニカルガーデン J・ニクラウス像 Golf Classic 2004年7月号>
<ボタニカルガーデン Golf Classic 2004年7月号>
<J・ニクラウスをたたえるボード Golf Classic 2004年7月号>
<Golf Classic 2004年7月号>
あぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・何と言うことでしょう!
最初、「Better Half'sマスターズ特集」を作るにあたって、「全18ホールの内容を、大きな写真付きで丁寧にまとめている本」はないか探してみましたが、見当たりませんでした。
ところが、ところがです!
ワタクシなりの「マスターズ特集」をまとめ終えたので、参考にさせて頂いた「Golf Ciassic 」の本を本棚に戻す作業をしている時に見つけてしまったんです!探していたまさにその本を!
(なぜ、今なんでしょうね???)
『きっと君も、「ネットの海」を泳いでみたくなったのかな?』と勝手に解釈し、画像を拝借して下に掲載させていただきました。参考になればうれしいです。そんな訳で、どうぞあともうちょっとお付き合い下さい。
以下は、Golf Ciassic 2005年7月号の付録で、TBSの製作による 「MASTERS 2005」の小冊子からの画像です。
<No.1 Hole>
<No.2 Hole>
<No.3 Hole>
<No.4 Hole>
<No.5 Hole>
<No.6 Hole>
<No.7 Hole>
<No.8 Hole>
<No.9 Hole>
<No.10 Hole>
<No.11 Hole>
<No.12 Hole>
<No.13 Hole>
<No.14 Hole>
<No.15 Hole>
<No.16 Hole>
<No.17 Hole>
<No.18 Hole>
「Better Half'sマスターズ特集」はこれで終りにさせていただきます。お付き合いありがとうございました。お疲れ様でした。
次回は、小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」の続きをお届けします。よろしくお願いします。
<日本アマゴルフ初優勝!阿部裕樹選手 JGA 日本ゴルフ協会>
【第1日】
<阿部裕樹選手 JGA 日本ゴルフ協会>
【第2日】
<阿部裕樹選手 JGA 日本ゴルフ協会>
<阿部裕樹選手 JGA 日本ゴルフ協会>
【第3日】
<阿部裕樹選手 JGA 日本ゴルフ協会>
<阿部裕樹選手と大塚智之選手 JGA 日本ゴルフ協会>
【第4日】
【第5日】
<コースの入り口・Golf Ciassic 2002年7月号>
<「マグノリア・レーン」・GDOマガジン「2010マスターズ」>
<「マグノリア・レーン」・TBS「2007マスターズ」>
<ジョージア州をかたどった黄色い花・Golf Classic1996年7月号>
クラブハウスは、眺めただけで、胸が熱くなるような特別な雰囲気を漂わせています。ここは最も有名な記念写真ポイントで、プレーヤー達もカメラを手にやって来ます。
<クラブハウス・TBS「2008マスターズ」>
<クラブハウス・ゴルフのこぼれ話。トーナメントの裏話。>
<クラブハウスのフラッグ・TBS「2010マスターズ」4月8日>
<クラブハウスの前で記念撮影する石川遼・TBS「2009マスターズ」4月6日>
<石川遼・TBS「2010マスターズ」4月6日>
<クラブハウス内・TBS「2007マスターズ」>
<クラブハウス内・TBS「2008マスターズ」>
<クラブハウス内のゲストルーム。TBS「2007マスターズ」>
<大きな木・GDOマガジン「2009マスターズ」>
<ボビー・ジョーンズの銅像・GDOマガジン「2009マスターズ」>
<ペンキ塗り?TBS「2008マスターズ」>
<グリーンジャケット・TBS「2009マスターズ」>
<キャディさんのキャップ・TBS「2010マスターズ」>
<フィル・ミケルソンとキャディさん・TBS「2010マスターズ」>
<15番パー5でティショットを右に曲げ、緑色のごみ箱の下に打ち込んだ
アンヘル・カブレラ GDOマガジン「2009マスターズ」>
<公衆電話・Golf Classic2006年7月号>
<スーベニア(お土産)ショップ・Golf Classic2007年7月号>
<メイン広場・Golf Classic2006年7月号>
<ATM・Golf Classic2002年7月号>
<キャリングボード・GDOマガジン「2010マスターズ」>
<特設スタンド・GDOマガジン「2010マスターズ」>
<池田勇太の後方に放送用のカメラ設置台・TBS「2010マスターズ」>
<大きな売店・GDOマガジン「2010マスターズ」>
<マスターズのロゴが入ったプラスティックカップかな?
TBS「2009マスターズ」>
<サンドウィッチのみ。ゴルフのこぼれ話。トーナメントの裏話。>
<関係者専用のテラス・TBS「2010マスターズ」>
<テラス・TBS「2009マスターズ」>
<マスターズ名物のおじさん3人組と写真に収まる遼君
GDOマガジン「2009マスターズ」>
<スパーシニア優勝の安田春雄プロとともに植田浩史プロ
社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
<社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
★涙の初優勝! シニア2年目・植田浩史
<植田、泣けた!師匠に捧げるV SANSPO.COM>
<「チャンスはあると思う。今は人生の中で一番上手いし、
プレーしていて楽しくてしかたない。早く2勝目を挙げたい。」
植田浩史 下野新聞 SOON【クロストーク】>
<植田浩史 在団法人 日本ゴルフ協会>
<植田浩史 社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー >
★スーパーシニアは安田春雄が優勝
<安田春雄 社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
★他のシニア選手さん
高橋勝成 (TOTAL:−13、プレーオフ末2位)
<高橋勝成 社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
尾崎健夫(TOTAL:−12、3位、2009年度シニアツアー賞金王)
<尾崎健夫 社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
高木祐二(TOTAL:−11、4位タイ)
<高木祐二 社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
安田春雄(TOTAL:−5、スーパーシニアの部優勝)
<安田春雄 社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
<中嶋常幸 社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
<倉本昌弘 社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
<羽川豊 社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
<三好隆 社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
<青木功 社団法人 日本プロゴルフ協会 フォトギャラリー>
2010年6月4日〜6日、長野県の「グランディ軽井沢ゴルフクラブ」で、国内女子ツアー「リゾートトラストレディス」が開催されました。
昨年プロテストに合格したばかりの、ツアールーキー「甲田良美プロ」が、最終日8バーディ・2ボギーの“66”でラウンドし、トータル14アンダーで2位に3打差をつけ、ツアー初優勝を挙げました!!!
おめでとうございます!!!!!!!!
<2010年6月6日 リゾートトラストレディス 最終日
ツアー初勝利を手にした甲田良美プロ。
中井誠氏撮影/産経ニュース>
<輝く優勝カップを手に笑顔を見せる甲田良美プロ。
中島郁夫氏撮影/Coca-Cola Park >
<プロ1年目でツアー初優勝!
キャロウェイゴルフ キャロウェイニュース>
<2010年6月6日 中野義昌氏撮影/ゴルフダイジェスト・オンライン>
<「TOYOTA」の文字が反対ですよ・・・と指摘する甲田良美プロ。
初優勝とは思えないほど、ラウンド中はもちろん、
表彰式でもスピーチでも冷静でした。
2010年6月6日 中野義昌氏撮影/ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2010年6月5日 リゾートトラストレディス 2日目
爽やかな笑顔が魅力の新人・甲田良美プロが首位と1打差で最終日を迎える。
中野義昌氏撮影/ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2010年6月5日 リゾートトラストレディス 2日目
首位と1打差、初優勝も見えて来ました。
キャディの石井プロも心強い味方ですね。
中野義昌氏撮影/ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2010年6月5日 リゾートトラストレディス 2日目
好成績でホールアウトし、笑顔を見せる甲田良美プロ。
中井誠氏撮影/産経ニュース>
<2010年6月6日 リゾートトラストレディス 最終日
ティーショットを放つ甲田良美プロ。
中井誠氏撮影/産経ニュース>
<13番ホールアウト後 中野義昌氏撮影/Just One Arm >
<2010年6月6日 リゾートトラストレディス 最終日
最後のパットを沈め笑顔の甲田良美プロ。
中井誠氏撮影/産経ニュース>
<2010年6月6日 リゾートトラストレディス 最終日
最終18番、バーディーで締めくくり、ギャラリーの声援に応えます。
中野義昌氏撮影/ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2010年6月6日 リゾートトラストレディス 最終日
最終18番でウィニングパットを沈め、
がっちり握手を交わす甲田良美プロと石井忍プロ。
中野義昌氏撮影/ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2010年6月6日 リゾートトラストレディス 最終日
優勝した瞬間は、満面の笑顔だったのですが・・・
しばらくすると嬉し涙があふれます。
中野義昌氏撮影/ゴルフダイジェスト・オンライン>
<18番のピンフラッグを持ち帰る石井プロ。
中野義昌氏撮影/Just One Arm>
(編集部:本橋英治/ゴルフダイジェスト・オンライン より)】
<2010年6月6日 リゾートトラストレディス 最終日
甲田良美プロ、吉田弓美子プロ、藤田幸希プロ
でも一番泣いてたのは・・・そう、吉田弓美子プロです。
中野義昌氏撮影/ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2010年6月6日 リゾートトラストレディス 最終日
中井誠氏撮影/産経ニュース>
<初優勝の甲田(右)は(左から)吉田、キャディーの石井氏ら仲間に
水を掛けられる手荒い祝福を受ける/スポニチアネックス>
< 2010年6月6日 リゾートトラストレディス 最終日
18番ピン フラッグ 「優勝したのはワシの娘じゃ!」
「でも普通、18番のピンフラッグはキャディがもらうもんですっ!」
甲田良美プロのお父さんとキャディの石井プロが奪い合って・・・
る訳ではありません。
中野義昌氏撮影/ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2010年5月28日 「ヨネックスレディス」大会主催者から用意された
バースデイケーキを嬉しそうに頬張る藤本麻子。
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<竹村真琴>
<「日本女子オープン」3日目の竹村真琴
千葉県・我孫子ゴルフ倶楽部/北野浩之氏撮影>
<2010年6月6日 リゾートトラストレディス 最終日
カメラマンのリクエストに応えてVサインです。
18歳でゴルフを始めて、9年後には初優勝。
早っ!27歳の遅咲き新人プロです。
中野義昌氏撮影/ゴルフダイジェスト・オンライン>
ちょっと前から現在までの画像を少し集めてみました。
<2009年8月28日 甲田良美プロ誕生記念キャンペーン/como!come!>
<2009年8月5日 甲田良美プロ 女子プロの実力とは!?/ como!come!>
<2009年9月28日 (千葉県 成田ゴルフ倶楽部)
ステップアップツアー第6戦「LIONレディースカップ」
優勝主催のライオン株式会社社長の藤重貞慶さんから
カップを受けとる甲田良美プロ。
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2009年9月28日 (千葉県 成田ゴルフ倶楽部)
ステップアップツアー第6戦「LIONレディースカップ」
嬉しいプロ初勝利を飾った甲田良美プロ。
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2009年10月 下野新聞ホームページ SOON>
<2009年10月10日 (群馬県 赤城カントリー倶楽部)
SANKYOレディース 2日目
あ?FP着てるプロ発見!甲田良美プロです。長身でスタイルいいですね。
内田真崎氏撮影/「だいたい日刊Uchida Times」>
<2009年10月24日 (兵庫県 マスターズゴルフ倶楽部)
マスターズGCレディース 2日目
ニュー・フェースの甲田良美さん。美人系です。
カメラ目線です 。予選通過です! 33位T
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2009年10月25日 (兵庫県 マスターズゴルフ倶楽部)
マスターズGCレディース 最終日
ニューフェース甲田さんが賞金59万円ゲット。美形でしょー!
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2009年10月30日 (埼玉県 武蔵丘ゴルフコース)
樋口久子IDC大塚家具レディス 初日
朝は寒いね。良美プロは、あったかそうですね。
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2009年11月 (香川県 エリエールGC)
大王製紙エリエールレディス 初日
まだ裏街道の甲田良美プロ。58位T
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2009年12月11日 (千葉県 グレートアイランド倶楽部)
LPGA新人戦 加賀電子カップ 最終日
2位タイの甲田良美プロ。
今シーズンは下部ツアーで勝利を挙げるなど早くも頭角を見せ始めている。
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2010年3月1日 JSM TOTAL GOLF PROJECTより>
<2010年4月1日 (静岡県 葛城ゴルフ倶楽部 山名コース)
「ヤマハレディースオープン葛城」 開幕前日
甲田良美プロの27回目の誕生日
竹村真琴プロからの“たこ焼き味”尽くしのプレゼントに
「めっちゃ嬉しい!」と大喜び。
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2010年4月10日 (兵庫県 花屋敷ゴルフ倶楽部よかわコース)
スタジオアリス女子オープン 2日目
一昨日の晩、一緒にコラーゲン鍋を食べた甲田良美プロ。
お肌ツルツル。ツルツルですべすべだったから滑りすぎて予選落ちしちゃったね。
内田真崎氏撮影/「だいたい日刊Uchida Times」>
<2010年6月9日 (兵庫県 六甲国際ゴルフ倶楽部)
サントリーレディスオープン 事前
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2010年6月9日 (兵庫県 六甲国際ゴルフ倶楽部)
サントリーレディスオープン 事前
プロアマトーナメントにも呼ばれ有名プロの仲間入り。
米山聡明氏撮影/ゴルフ情報ALBA.Net >
<2010年6月9日 (兵庫県 六甲国際ゴルフ倶楽部)
サントリーレディスオープン 事前
サインを求められることも飛躍的に増えた。
米山聡明氏撮影/ゴルフ情報ALBA.Net >
<2010年6月10日 (兵庫県 六甲国際ゴルフ倶楽部)
サントリーレディスオープン 初日
先週のVでギャラリーにもしっかり覚えられてました。
でも、残念ながらの10オーバー117位!
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<2010年6月11日 (兵庫県 六甲国際ゴルフ倶楽部)
サントリーレディスオープン 2日目
急に増えたギャラリーの声援に、思わず「振り返ってしまうんですよ」
と笑う甲田良美。今後も活躍を期待したいプレーヤーです。
ゴルフダイジェスト・オンライン>
<ホールインワン賞 TBS「マスターズ2009」より >
<ネイザン・グリーン ゴルフ情報ALBA.Net http://www.alba.co.jp/news/photo_detail/no=9045 より>
<フィル・ミケルソン TBS「マスターズ2009」より>
下記の画像は、[GDOマガジン「マスターズ2009」事前情報2]よりお借りしました。ご参考になさって下さい。
<16番パー3、練習ラウンドで恒例となっている水切りショットを行い、
なんとホールインワンを達成したビジェイ・シン!
パトロン達も地鳴りのような大歓声を上げた!>
<同じく16番でのホールインワンを喜ぶビジェイ・シン。
とはいえ、カップインしたボールを自分で拾う事もなく、
グリーン上では淡々としたものだった…>
≪最年少出場者誕生!≫
<マテオ・マナセロ GDOマガジン「2010年マスターズ特集」より>
<マテオ・マナセロ SANSPO.COMより>
<マテオ・マナセロ GDOマガジン「2010年マスターズ特集」より>
<マテオ・マナセロ GDOマガジン「2010年マスターズ特集」より>
<石川 遼 GDOマガジン「2010年マスターズ特集」より>
≪フェアウェイキープ率≫
<フィル・ミケルソン TBS「マスターズ2010」より>
<リー・ウェストウッド(右) TBS「マスターズ2010」より>
<アンソニー・キム TBS「マスターズ2010」より>
<池田勇太 TBS「マスターズ2010」より>
<戸田藤一 あの人検索SPYSEE[スパイシー]より>
<石川 遼・片山晋呉 GDOマガジン「2010年マスターズ特集」より>
<池田勇太 TBS「マスターズ2007」より>
「片山晋呉」は、6年連続・9回の出場です。その間予選落ちは、今年を含めて3回です。
<片山晋呉 TBS「マスターズ2007」より>
<グレッグ・ノーマンとセベ・バレステロスに挟まれてジャンボも思わずニッコリ
Golf Classic 1995年7月号より>
<青木 功 富士フィルムより>
11回出場の「中嶋常幸」は、4回予選落ちをしました。
<長男の雅生君をキャディにして、親子でマスターズに挑んだ中嶋常幸
Golf Classic 1995年7月号より>
<Golf Classic 2001年5月号より>
<丸山茂樹 Golf Classic 2002年7月号より>
<丸山茂樹 Golf Classic 2002年7月号より>
<尾崎直道 GDO PGAツアーダイジェストより>
<谷口 徹 Golf Classic 2002年7月号より>
<伊澤利光 Golf Classic 2001年7月号より>
<伊澤利光 Golf Classic 2004年7月号より>
<片山晋呉 ゴルフ情報ALBA.Netより>
<片山晋呉 TBS「マスターズ2010」より>
<練習ラウンド Golf Classic 2002年7月号より>
<練習ラウンド Golf Classic 2003年7月号より>
≪「Better Half'sマスターズ特集」No.5≫につづく
<「自分のキャリアの中で永遠に輝く試合であり、一生忘れない・・・・」と、
2004年マスターズ初勝利のフィル・ミケルソン
Golf Classic 2004年7月号より>
<ただ、ただ感動。残ったものはそれしかなかった・・・・・・
2005年、第69回マスターズ。Golf Classic 2005年7月号より>
<オーガスタでたったふたりしかいない黒人メンバーのひとり、M・ロン氏
Golf Classic 2003年7月号より>
<オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブの会長、ジャック・スティーブン氏
Golf Classic 1997年7月号より>
<めったなことでは撮影させてもらえない「グリーン・ジャケット」
この時も触る事は許されなかった。Golf Classic 2004年7月号より>
<大会練習日にはスタッフが大事そうに運ぶ姿も見られた。
ちなみに頼んでも触れせてはくれない。Golf Classic 2006年7月号より>
<画像は20人の名手たち 「サム・スニード」及び
Golf Classic よりお借りしました>
<タイガー・ウッズが初めて優勝した1997年
Golf Classic 1997年7月号より 今よりスリム?>
多くの場合、選手達はマスターズ週の火曜日の夜に催される「チャンピオンズディナー」の席上、年1回しか着用の機会はないのですが、年月を経ると次第にほころびも出てくるようです。しかし「トム・ワトソン」は、「たとえボロボロになろうとも、直せる部分は直して絶対に新調しない。着るたびに初めて優勝したときのあの感動を思い起こす事ができるから。」と話しています。
<画像は20人の名手たち 「トム・ワトソン」及び
Golf Classic よりお借りしました>
<画像は20人の名手たち 「ゲーリー・プレーヤー」及び
Golf Classicよりお借りしました>
<Golf Classic 2004年7月号より>
<画像はWikipedia及びGolf Classicよりお借りしました>
<画像はGolf Classicよりお借りしました>
<?J・ニクラウス、?F・カプルス、?M・オメーラ、?B・クレンショー、
?R・フロイド、?C・スタドラー、 ?L・マイズ、?T・ワトソン、?F・ゼラー、
?A・パーマー、?C・クーディ、?T・アーロン、?B・キャスパー
Golf Classic 2004年7月号よりお借りしました>
<Golf Classic 1996年7月号より>
<優勝トロフィー TBS「マスターズ2009」より>
<グリーンジャケット TBS「マスターズ2009」より>
果たして来年は、「グリーン・ジャケット」を目指し、どんなドラマが待っているのでしょう。楽しみですね・・・・・・・・
<Golf Classic 2004年7月号より>
<画像は、GDOマガジン及びGolf Classic よりお借りしました>
≪「Better Half'sマスターズ特集」No.4≫につづく
<「アーメンコーナー」の一つ、12ホール
Choice 2008年5月号より>
<10番・16番ホール TBS「マスターズ2009」より>
<6番ティからグリーンを臨む
GDOマガジン「2010マスターズ特集」より>
<Golf Classic 2005年7月号より>
<TBS「マスターズ2010」より >
【Photo Gallery 花園】
<以下は、TBS「マスターズ2010」より>
<以上は、TBS「マスターズ2010」より>
<以下は、TBS「マスターズ2007」より>
<以上は、TBS「マスターズ2007」より>
<以下は、GDOマガジン「2010マスターズ特集」より>
<以上は、GDOマガジン「2010マスターズ特集」より>
<以下は、GDOマガジン「2009マスターズ特集」より>
<以上は、GDOマガジン「2009マスターズ特集」より>
【各ホールの名称】
【「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」のコースの特徴】
<Golf Classic 2001年5月号より>
<TBS「マスターズ2010」より>
<TBS「マスターズ2008」の画像をお借りしました>
<初日、マスターズ開幕のティショットを打つのは、
マスターズ永遠のヒーロー、「アーノルド・パーマー」。
GDOマガジン「2008マスターズ特集」より>
<今年もこの方のショットでマスターズが開幕しました。
GDOマガジン「2009マスターズ特集」より>
<3日目。「タイガー・ウッズ」1番のティショット
GDOマガジン「2008マスターズ特集」より>
<10時35分。トップ組の今田竜二がスタートする時にはすでに
このギャラリー数。GDOマガジン「2009マスターズ特集」より>
<バンカーのない14番ホール TBS「マスターズ2008」より>
<18番グリーン左脇の特設スタンドからティ方向を臨む。
右脇に見えるバンカーが遼君が、「入ったら空しか見えなかった」
と言ってたもの。GDOマガジン「2010マスターズ特集」より>
【アーメンコーナーは、棲魔性との戦い】
<TBS「マスターズ2010」より>
<11番ホール TBS「マスターズ2008」より>
<12番ホール Coice チョイス 1995年5月号 より>
<13番ホール Coice チョイス 1995年5月号 より>
また、1978年に、「中嶋常幸」がパー5の13 番で「13」という大叩きをしてしまった記録も、同様にワースト記録として残っています。
<13番ホール TBS「マスターズ2010」コースガイドより>
<15番ホール Choice 1994年5月号より>
【Photo Gallery コース風景】
<以下は、GDOマガジン「2008マスターズ特集」より>
<以上は、GDOマガジン「2008マスターズ特集」より>
<以下は、GDOマガジン「2010マスターズ特集」より>
<以上、GDOマガジン「2010マスターズ特集」より>
<以下、TBS「マスターズ2007」より>
<以上、TBS「マスターズ2007」より>
<以下、TBS「マスターズ2010」より>
<以上、TBS「マスターズ2010」より>
≪「Better Half'sマスターズ特集」No.3 ≫につづく
<アリスター・マッケンジー博士>
<マッケンジーの代表作、サイプレス・ポイント>
<バックナインには、海に向かってのロングドライブが待ちうけ、
ゴルファーを圧倒>
<全米アマ後、サイプレス・ポイントでのボビー>
<全英オープントロフィーを手中に収めるボビー>
<クヮドリラテラル達成の瞬間。握手を交わすホーマンズ(右)とボビー>
<四大メジャーのカップ。
左から全英オープン、全米アマ、全英アマ、全米オープン>
<「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」創生前の
ボビー(左)とロバーツ>
<造成中のオーガスタ・ナショナル ゴルフクラブで視察プレーをするボビー
(現在の8番ティ)。ボビーの右にいるのがマッケンジー博士>
<造成中のアーメンコーナー>
<オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブの初期メンバーたち。
下段中央がボビー>
<第1回年次招待トーナメントの第1打を放つボビー>
<マスターズは第1回当初、
「年次招待トーナメント」という名称で開催された>
<マスターズ練習ラウンド。ボビーのティショットを、トミー・アーマー、
ウォルター・へーゲン、ジーン・サラゼンの3名手が見守る>
<8番グリーンでパッティングするボビー>
<14番グリーン(現13番)で同伴競技者のパッティングを見守るボビー>
<ハリー・クーパーとラウンドするボビー>
<第2回大会をラウンドするボビー(左)。
競技者ではなく、主催者として試合に参戦していた>
<第2回大会の出場選手の顔ぶれ。
バイロン・ネルソン、トミー・アーマーなど一流の選手が勢ぞろいしている>
<Bobby Jones Photo Gallery>
<生後13ヶ月。虚弱な幼児で5歳まで生きられないと言われていた>
<6歳。この年、初めて優勝カップを手にした>
<14歳。初めての全米アマチュア選手権にて>
<ボビーの活躍を伝える地元紙。若きボビーに大きな期待が集まった>
<1936年、セント・アンドリュースにて。
ボビーのプレーを見ようと群衆が駆けつけた>
<セント・アンドリュース市長から名誉市民の称号を受けるボビー>
<晩年は脊椎空洞症という病に冒され車椅子生活を余儀なくされた。
ベン・ホーガンと話すボビー>
<ボビー(下段左)は、天才ゴルファー、ジャック・ニクラウス
(上段左から2人目)や、ゲーリー・プレーヤー(上段左)、
アーノルド・パーマー(上段右から2人目)達と一緒に撮影>
≪「Better Half'sマスターズ特集」No.2 ≫につづく
「マスターズ」が、アメリカ南西部のジョージア州オーガスタにある「オーガスタ・ナショナルゴルフクラブ」で、4月8日から4月11日迄の4日間開催されました。世界最高峰の力と技の激しく熱い戦いが終りました。
すでに皆さんもご存知と思いますが、出場選手は、前年度の世界各地のツアーでの賞金ランキング上位者や、メジャータイトル優勝者など、招待資格を満たす名手(マスター)達しか出場できない事から、「マスターズ」の大会は、“ゴルフの祭典”として最も敬愛されています。
「マスターズ」の最終日は、晴天・微風と絶好のコンディションに恵まれる中、1打差の2位タイからスタートした「フィル・ミケルソン(39)=米国=」が、5バーディ・ノーボギーとスコアを伸ばし、通算16アンダーで4年ぶり3度目の優勝(今季ツアー初勝利・通算38勝目)を果たし、優勝賞金135万ドル(約1億2500万円)を獲得されました。おめでとうございます。
「マスターズ」最終日の「フィル・ミケルソン」のベストショットといえば、やはり13番パー5でしょう。
6Iで、(1メートル強程しかない)2本の木と木の間を通すミラクル神業ショットで、2オン。さらに、ピン迄わずか1メートル程の所にピタリと止まりました!その時、コース全体には大歓声が響き渡りました!
「フィル・ミケルソン」は、「(幹の間の)空間は少し開いていて、もちろん広い訳ではないけど、球が抜けていくには十分だった(微笑)」「あとは自分のスイングを信じるだけだった」と、トラブルをものともせずにバーディへと繋げ、「リー・ウエストウッド」との差を2打に広げ、混戦から抜け出たのです。いやはやすばらしかったですね・・・・・・・・
一方、「タイガー・ウッズ(34)=米国=」は2イーグルを奪ったものの、序盤のミスが響き、通算11アンダーで4位でした。
首位スタートの「リー・ウエストウッド(36)=英国=」が3打差の2位で、初出場の「池田勇太(24)」は通算2オーバーの29位でした。
また「池田勇太」は、「4日間のフェアウエイキープ率89.29%で、全選手中第1位」と「日本人プロで最年少の予選突破」というすばらしい記録も達成しました。おめでとうございます。
「フィル・ミケルソン」が優勝し、「タイガー・ウッズ」が4位という結果に終ったのは、おそらく「愛の差」ではないでしょうか?
不倫スキャンダルから復帰した「タイガー・ウッズ」とは対照的に、「フィル・ミケルソン」は、昨年、相次いで乳がんと診断された夫人と母親のために全英オープンを欠場するなど、しばらくはツアーに全力投球できない状態が続きました。
「夫人と母親のために勝つ、家族のために勝つ」と宣言。帽子には乳がん撲滅を祈る「ピンクリボン」を縫い込んでの出場でした。
(13番で見せてくれたミラクル神業ショットの決断の裏には、家族のピンチに耐え・支え・守った39歳の内面の強さが反映しているように思えてなりません。)
「フィル・ミケルソン」の談話の主語には「わたしたち」という言葉が出てきます。「病気と闘ってきた妻は誇りです。」と述べ、エイミー夫人と10歳になった長女アマンダちゃんら3人の子供さんとの“家族愛”を強調されていました。
どうやら「勝利の女神」は、「正しく・強い“家族愛”の持ち主」の「フィル・ミケルソン」にほほ笑んだようですね!
「フィル・ミケルソン」は、家族で難関を乗り越えた「マスター(名手)」そのものです。
その一方で、不倫騒動の末、家族が崩れた「タイガー・ウッズ」の主語に、「We・わたしたち」が戻る日はいったい何時なのでしょう?はたしてその日は訪れるのでしょうか?・・・・・・・
私ことBetter Half は、4月4日、深夜のTBSテレビで放映された 「マスターズの現地独占情報」を偶然目にして、「マスターズ」というものにちょっと興味を持ってしまいました。
そして、4月8日に【小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」 ?海外遠征】を掲載し終ってから、ネットで、「マスターズ」に関して調べてみました。
その結果、世の中のゴルフを愛する方々が、どうして「マスターズ」、「マスターズ」 と騒がれるのかが良く分かりました。(ゴルフ屋さんのオクサンとしてはちょっと遅すぎますよね・・・・・)
申し訳ございませんが、【小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」 】を小休止させていただいて、次回より私 が調べました「マスターズこぼれ話・マスターズ裏話」を、「Better Half'sマスターズ特集」として掲載させていただこうと思います。(「マスターズ」が開催されたこの4月でないと意味がないような気がしまして・・・・・・・)
「Better Half'sマスターズ特集」が終了次第すぐに、【小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」 】の続きを掲載いたします。いつも勝手ばかりで申し訳ありません。
「マスターズ」に関してはもうとっくにご存知の方がほとんどでしょうが、よろしかったらお付き合い下さいませ。
今回「Better Half は、欲張りさんである。」という事を再確認しました。
なぜなら、「マスターズ」の面白そうな話をあれもこれもとピックアップしていくうちに、とてつもなく量が多く(ちょっとオーバーかな?)なってしまったのです・・・・・
そんなわけで、次回からはいつもよりさらにお時間があるときにおこし下さい。「Better Half's Diary」はどこへも行かず、ここでじっとお待ちしています。
(何時おこし下さっても、お茶もコーヒーも差し上げることができず、本当に申し訳ありませんね・・・・・・・・)
≪ブログ内の記事及び画像は、下記のHP様及び下野新聞様よりお借りしました。ありがとうございました。≫
TBS「マスターズ2010」
http://www.tbs.co.jp/masters/
ゴルフのこぼれ話。トーナメントの裏話。
おめでとう!「フィル・ミケルソン」本当に良かった。涙!涙!涙でした。 http://blogs.yahoo.co.jp/mitsuoh2002/59545646.html
2010マスターズ特集 ゴルフダイジェスト・オンラインhttp://www.golfdigest.co.jp/magazine/tournament/column/masters/
プロゴルファー 小針春芳さん(88) ?海外遠征
日の丸背負って転戦
≪この時あつらえたスーツは、最近まで着られていました。
また、写真の裏にはていねいなメモが書かれています。≫
≪カナダでお世話になった日本人会の皆さんとの写真。
岸内さんが小針プロの、息子さんが小野プロのキャディをしてくれました。
息子さんは日本語が上手じゃなかったが、小野プロは英語が話せました。≫
≪極東オープンに向けて出発の際に撮影。
小針プロはみんなと同じようにネクタイを締めたが、
中村プロは絶対締めなかった。≫
≪出場した試合の記事や、気になるプロのスウィング写真などのスクラップ。
一見雑然として見えるが、あっという間に資料が出てくる。≫
今日のBetter Half's Diaryは、視点を「小針先生」から「海外渡航」にLinkします。
「鉄のかたまりが空を飛ぶのよ!あんなものに怖くて乗れるわけないじゃない!」
これはかつて、何らかの理由で飛行機に乗れない方々が、羨望を込めて?口にされたであろう慣用語で、もうとっくに死語扱いですね。
しかししかし、このBetter Halfにとって死語ではないのです。今現在あの鉄のかたまりには乗れないんです・・・・
ここに到達するまでの経過を書くとすると、ブログ全体が、非常にdark&gray&長くなるのは避けられませんので、割愛させていただきます。
その代わり、ここに「神様のカルテ」があります。ご覧になってご想像なさって下さい。
≪神様のカルテ≫
神様というお方は、実にすばらしい絶妙なタイミングで粋なプレゼントを下さるものです。
小針先生の「?海外遠征」の記事が下野新聞に掲載されたのが4月3日です。
朝、記事を拝見し、「海外遠征」=「飛行機」=「高・閉・狭所嫌悪症」=「飛行機には乗れない」という等式が頭の中で遊び始まりました。
2〜3日前、1月末に図書館にリクエストしていた本が届いたとのお知らせがありました。(1月末にリクエストした事はおろか、本のタイトルも、もののみごとに「忘却のかなた」だったのですが・・・・)
黒磯図書館に伺い、その本をお借りしたのが、なんと4月3日なのです。
本のタイトルは「神様のカルテ」??????
早速ブログ内で「言葉のリサイクル」をさせていただきました。神様、粋なプレゼントをありがとうございます。
【文中の画像は、ゴルフダイジェスト社刊 『チョイス』様の
2007月5月号No.158、2007月9月号No.160、
2008月5月号No.164、2008月7月号No.16
よりお借りしました。ありがとうございました。】
≪杉本英世プロ〜画像は日本経営開発協会様よりお借りしました。
ありがとうございました。≫
≪烏山城カントリークラブ≫
≪「ビッグスギのSTEP UPゴルフ」から杉本英樹プロと杉本英世プロ
〜テレビ埼玉様よりお借りしました。ありがとうございました。≫
≪烏山城カントリークラブホテル≫
なんとパートナーがうかがった30日は、撮影が立て込んでいて、滞在中で一番忙しい日だったそうです。簡単な挨拶の後、握手していただく事しかできなかったそうです。残念!もっと前の日に伺えば、色々とお話するお時間をいただけたかもしれません・・・・・・
あとは、杉本先生やスタッフの方々の撮影の邪魔にならないように、遠くから見学するだけだったとか。なんとまあ、お疲れ様でした。
≪撮影風景≫
(ちなみに烏山城カントリークラブ所属の武藤哲郎プロは杉本先生の甥ごさんにあたるそうですね。)
尚、「ビッグスギのSTEP UPゴルフ」は、ビッグスギこと杉本英世プロが、ゴルフテクニックを分かりやすく手ほどきする ゴルフレッスン番組です。
現在テレビ埼玉にて放送中の「ビッグスギのSTEP UPゴルフ」は、数あるゴルフ番組の中でも最も人気のあるレッスン番組で、テレビ埼玉をはじめ地上波各局やCS放送、ケーブルテレビなどでも放送されているそうです。
今回撮影された録画は、テレビ埼玉では4月15日頃、とちぎテレビ(GYT)では5月の連休明けの頃、放映されるそうです。ぜひご覧になって下さい。
帰りに、殿方二人で「カタクリ山公園」のカタクリの花を見学して来たそうです。(花好きのBetter Halfはただただうらやましい限りです)しかし、ちょっと時期が早かったようで、咲いている花がちょっと少なかったとか・・・・・・
≪上の画像は、カタクリ山公園(栃木県那珂川町)(旧小川町)
のHPよりお借りしました。ありがとうございました。≫
杉本先生は、だいぶお歳を重ねられたようにお見受けしたそうですが、とってもお元気の様子だったとか。どうぞくれぐれもお体を大切になさって下さい。さらに多方面での益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
約二名の杉本先生のファンが、テレビの前でいつも応援しています。
≪烏山城カントリークラブ〜ブログ内の烏山城カントリークラブの画像は、
同HPよりお借りしました。ありがとうございました。≫
<ご参考になさって下さい>
杉本英世 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E8%8B%B1%E4%B8%96
名人の技と心を盗め 杉本英世の巻?
http://www.151a.com/pro/sugimoto01.htm
名人の技と心を盗め 杉本英世の巻?
http://www.151a.com/pro/sugimoto02.htm
杉本英世への講演会依頼-プロゴルファー 写真・プロフィール・著書|講演会 ... http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-861.htm
杉本英世&青木功プロのメッセージ:クラブ紹介:呉羽カントリークラブ http://www.kurehacc.jp/club/message.html
杉本 英世 の講演依頼/講師派遣は 日本経営開発協会/関西経営管理協会 http://www.kmcanet.com/koushihaken/sugimoto-hideyo
杉本英世の出演時間
http://tv.nilenile.net/detail/5296.html
杉本英世 プロフィール あのひと検索SPYSEEスパイシー
http://spysee.jp/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E8%8B%B1%E4%B8%96/1071653/
名手・達人の言葉|2007.9.26
https://www.golf-book.net/tatsu/t070926.html
烏山城カントリークラブ - 栃木県 ゴルフ場
http://www.karasuyamajo.com/
社団法人 日本プロゴルフ協会
プロゴルファー検索/詳細
杉本英樹プロ
http://www.pga.or.jp/profile/pga/index.php?act=detail&memberId=2519
PGAリポート75
PGA新人戦 杉本英樹が逆転優勝で02年度新人ナンバーワンに http://www.pga.or.jp/news/repo77/report_01.html
テレビ埼玉プランニング
http://www.tvs-planning.jp/index-sugi.htm
MTV 三重テレビ
http://www.mietv.com/
GYT とちぎテレビ
http://www.tochigi-tv.jp/
群馬テレビ スポーツ/番組情報
http://www.gtv.co.jp/program/sports/index.html
CTC 千葉テレビ
http://www.chiba-tv.com/
ビッグスギ( 杉本英世 ) プロモデルパター
http://www.sanspo-eshop.com/pitem/96976357
社団法人 日本プロゴルフ協会
プロゴルファー検索/詳細
武藤哲郎プロ
http://www.pga.or.jp/profile/pga/index.php?act=detail&memberId=869
カタクリ山公園 (栃木県小川町)
http://qga02666.web.infoseek.co.jp/dg_46.html
カタクリの里小川栃木-関東最大級の群生地
http://ogawa.shokokai-tochigi.or.jp/katakuri.htm
プロゴルファー 小針春芳さん(88) ??大事件?
転がり込んだ「日本一」
忘れもしないのが2度目の日本オープンです。昭和35(1960)年、広野GC(兵庫)での開催でした。誰もが目標とする、日本オープンでの優勝ですから、うれしいはずですが、何とも後味の悪いことになってしまいました。「日本ゴルフ史上初の事件」と今でも語り継がれています。
最終日に36ホール決勝を行う、3日間72ホール競技です。126人がエントリーし決勝進出は50人。最終日は最終組3人による大混戦となりました。トップを走るのは連覇を狙う陳清波(ちんせいは) さん。追うのが私と小野光一(おのこういち)さん。
陳さんが抜け出し4オーバー292でホールアウト、私は2打差294で2位。小野さんは松田司郎(まつだしろう)さん、藤井義将(ふじいよしまさ)さん、O・ムーディーさんと並んで299で3位タイのはずでした。ところが陳さんがスコア誤記、私に優勝が転がり込んできたのです。ゴルファー日本一を決める大会で、トップフィニッシュの選手がスコア誤記ですからそれは大騒ぎでした。
問題となったのは最終ラウンド11番パー4の記入でした。陳さんは2打目をバンカーに入れて、寄せきれずにボギー。私はパー。陳さんのマーカーだった小野さんが、私と陳さんのスコアを取り違え、陳さんの11番を「5」のところを「4」と記入。陳さんは確認を怠りサインしてしまったわけです。
ホールアウト後、陳さんはクラブハウスまで報道陣に取り囲まれ確認どころではなかった。連覇となると昭和11(1936)年の宮本留吉(みやもととめきち)さん以来、24年ぶりの大記録ですから。今はアテストが終るまで完全にガードされていますから、あり得ませんが。あの時はもみくちゃにされていました。確認もおろそかにサインしてしまったのでしょう。まったく気の毒なことでした。
スコア誤記が発覚した時は、そんなこととは知らずに私と小野さんは風呂で汗を流していました。そこに「大変だ」と係りの人が飛び込んできたのです。「陳さんが失格になった」というのですが、ゴルフに失格なんてあるのかと、狐につままれたようでした。私も驚きましたが、小野さんの驚きといったら大変なものでした。陳さんのマーカーですから。
今と違って表彰式はクラブハウスの中、私は優勝カップを受け取ってもなんか落ち着きませんでした。私は納得のゴルフで陳さんに追い付けなかった。完全に負けた試合でした。だから、心からおめでとうと陳さんと握手してグリーンを後にしたのです。本当に2位でよかったのにと思いました。
優勝賞金は70万円でした。私と小野さんは陳さんを慰めなければと頭を悩ませました。そして陳さんの先輩の陳清水(ちんせいすい)さんに相談。私が6万円、小野さんが4万円を出して10万円を渡しました。陳清水さんはそれでカシミアのジャケットを贈ってくれたそうです。
雑誌の対談で5、6年前に陳さんと会った時、ジャケットの話になりました。今でもあるということなので驚きました。でも、「高いものだとは分かっていた」ということでしたが、10万円と聞いてびっくりしていました。(構成 井上孝男様)
陳清波 1931年台湾生まれ。17歳でゴルフを始め54年に来日、川奈で日本のゴルフを学ぶ。59年の24回日本オープンでは大会初となったプレーオフ(翌日18ホール)を制して優勝。63年から6年連続でマスターズ出場。ツアー24勝。
【上記の文章及び画像は、栃木の下野(しもつけ)新聞様 よりお借りしました。ありがとうございました。】
<ジャンボがデビューする10年ほど前から
小針先生はハイ・ティーアップを採用されていた>
小針先生が、ゴルファーの誰もが目標とする日本オープンで優勝!それも2度目とは!すばらしいですね。
しかしこれには「日本ゴルフ史上初の事件」という物語があったとは・・・・・
この?大事件?を私のパートナーは以前から知っていたようですが、私Better Halfは、今回の記事を拝見するまでは全く知りませんでした(おおよそゴルフ全体に関して無知なものですから、当然といえば当然ですが・・・・勉強不足でゴメンナサイ)
<私は優勝カップを受け取ってもなんか落ち着きませんでした。私は納得のゴルフで陳さんに追い付けなかった。完全に負けた試合でした。だから、心からおめでとうと陳さんと握手してグリーンを後にしたのです。本当に2位でよかったのにと思いました。><私と小野さんは陳さんを慰めなければと頭を悩ませました。>これは「那須の神様」の小針先生らしいお言葉ですね。
(私の知らない)小針先生の未知の歴史と遭遇するのが、これからますます楽しみになって来ました。
<フィニッシュでは、グリップエンドの向きが目標に対して90度以上なければ、
ジャストミートはできないと小針先生>
以前、[ワタミの渡邉美樹社長さん]のエッセイを拝読する機会がありました。
ご自身の生い立ち、人生に対するお考え、信念等にとても感銘を受け、ずっと尊敬し、隠れファンでした。
最近、図書館の465,213冊の中から、ある方のエッセイ集を読ませていただきました。その中に、
<ワタミの渡邉美樹社長 外食の他にも介護や農業や学校、環境問題にも取り組んでいて、前々から「素晴らしい方だな」と思ってはいたけど、初めて話したら、やはり素晴らしい方だった。>と書かれてありました。
同じ方の他の著書にも、[渡邉美樹社長さん]に関して、
<わたしがひそかに尊敬している人なのですが>という一文がたまに登場します。
偶然にも私と同じように思っている方の著書を拝読する事になろうとは?????
そしてこのブログの記事の下書きをした後で、またまた偶然にも[渡邉美樹社長さん]の最近のエッセイをたまたま拝読しました??????
以上は、図書館からお借りした本にまつわる?です。それぞれが非常に発生確率のきわめて低い事柄であり、キセキ的な出来事であると思いませんか!
また少し前になりますが、安普請の極小住宅のMy Sweet Homeの軒天が、あれよあれよという間に傷んできました。しかし、程なく「大嵐」が来て下さって?見事に見るも無残な状態になってしまいました。もちろん、無事「保険」というものの存在で新品にしていただきました?????
パソコンは最初ケーズデンキの「ひよこパソコン教室」で基礎を習いました。
しかし、「エバゴルフ工房」のホームページを何が何でもどうしても作りたくて、必死で先生を探し、「アットサポート」の原田千恵子先生に出会いました。
とにかくスキルがビックリする程非常に高い先生です。その上、人間的にとてもすばらしい先生で、私の方が年上なのに、見習わなければならない所・教えられる所がたくさんあります。
Yahoo!で[ゴルフ修理]と入力し検索してみて下さい。ナ・ナ・ナント(約16,000,000件中)トップページの一番に[【エバゴルフ工房】トップページ]が表示されます。(3月29日現在)これって超キセキ的な事ですよねよネ!
全国から当HPに訪れてくれる皆様、ありがとうございます。見える物、見えない物すべての力に感謝しています。しかしなんといっても、原田先生のご指導があったからこそ、この居心地の良いポジションに到達できたと思っています。このキセキ的な素晴らしい出会いに、心から感謝しています。ありがとうございます!!!
また、たびたびご来店なさって下さっていたお客様が、ある時からパッタリお見えにならなくなりました。最近フッと「あのお客様お元気にしていらっしゃるかしら」と頭に浮かびました。不思議や不思議、少ししてお見えになったのです???????なかなかご来店できない事情があったらしいのです・・・・
ある病院の先生も、「最近少しご無沙汰していらっしゃるようだわ」と何げなく頭に思い浮かんだ2〜3日後、ご来店下さいました?????
私はゴルフに関する知識があまりありません。どうしてもブログではゴルフに関する記事が少なくちょっと悩んでいると、何日もしないうちに、下野新聞の「私の生きていた刻(とき)」に小針先生の記事が掲載されました???????もちろん、早速私のブログに紹介させていただきました。
前回のブログでも書かせていただきましたが、小針先生の記事を入力して、このままでは芸がないので、さてあと、どんな記事を追加して掲載しようかと考えていますと、まさにちょうどその時、お客様が持って来て下さった『チョイス』に小針先生の特集記事が載っていました?????早速それを参考にして記事の続きを書かせていただきました・・・・・
いかがですか?これまで?と思ったほんの一部をご紹介しました。これをご覧になったほとんどの方が、そんなのは偶然で、とても小さな事で、くだらない事と思われているのではないでしょうか?
でも私は、それらのシンクロニシティー(偶然の一致)に大喜びし、出会いに感激し、それぞれの事にたくさんたくさん感謝しています。「なんてタイミングがいいんでしょう」「運がいいなあ」「不思議だなあ」と。
皆さんはどう思われますか?
【文中の画像は、ゴルフダイジェスト社刊 『チョイス』様の
2001月7月号 Vol.123よりお借りしました。ありがとうございました。】
「私の生きた刻(とき)」
プロゴルファー 小針春芳さん(88) ?日本一
パターの名器強い味方に
(構成 井上孝男様)
つれづれなるままに、日くらし、硯(すずり)にむかひて、
気の向くままに毎日パソコンに向かい、
心にうつりゆくよしなし事を、
ふと思いつく何気ないことを、
そこはかとなく書きつくれば、
なんとなく書いていると、
あやしうこそものぐるほしけれ。
不思議なほどワクワクしてくる。
(吉田兼好様)
(浅見帆帆子様)
【小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」 ?日本一】をパソコンに入力し終わって、「さてこれでTHE ENDでは芸がなさ過ぎるし、どうしましょう?」と頭を右に20度位傾けていますと、玄関から「おーい、お客さん」という愛しのパートナーの声。
早速コーヒーをお持ちしますと、いつもゴルフダイジェスト社の『チョイス』を持って来てくださるお客様が来店なさっていました。お客様いつもありがとうございます。
今回持って来ていただいた『チョイス』を開きながら、我がパートナーが理解不能な事を言うんです。
「小針先生が未知と遭遇したんだって」と。?????????
なんと今回の『チョイス』では、小針先生が未知(ゴルフ上達の最先端デジタル機器)との遭遇(テスト) をなさった特集が組まれていました。これはグッドチャンスです。
早速、これを参考にさせていただきながら、文明の利器・ハイテクゴルフ機器をご紹介させていただきます。(傍に『チョイス』 No.182 Mar.2010を置いてご覧になりながら、このブログを参考にして下さると最高です・・・・)
ゴルフの図書館
Choiceレッスン・ノンフィクション
名人・小針春芳 ITゴルフを試す
http://www.golf-book.net/choice/1003.html
も参考になさって下さい。
?富士通のハイスペック携帯「F-01B」
http://www.fmworld.net/product/phone/f-01b
HUMAN SENSING ETGAスウィングレッスン http://www.fmworld.net/product/phone/f-01b/info.html?fmwfrom
=f-01b_index
「F- 01B」を腰に装着してスウィングすると、ゴルフのスウィング動作を測定することができます。測定されたデータを基に、理想のスウィングに近づけるための診断やプロゴルファー江連 忠さんのアドバイスが表示されます。
?【2010年モデル】プロギアのゴルフ レッドアイズポケット
(RED EYES POCKET) マルチスピード測定器
http://www.atomicgolf.jp/fs/b005/154/a9101d1p-0107
「RED EYES POCKET」は、マイクロ波レーダー方式を採用しています。このため打席のティー後方1〜1.5メートルに置くだけで、インパクト直前のヘッドスピードとインパクト後のボールスピード、インパクト効率などを同時に測定することができます。アプローチ練習モードでは、ウェッジのフルショット時のヘッドスピードに対し、何パーセントのスピードで振っているかを数値で表示できるため、データに基づいた反復練習ができます。野球のピッチングでの球速やバットスイングスピード、サッカーのシュートスピードも測定することができます。
?カシオのデジタルカメラ HIGH SPEED EXILIM | EX-FS10S http://dc.casio.jp/products/ex_fs10s/ (価格3万4800円 )
ゴルフスイングに最適なガイドライン表示機能を新搭載したカシオの デジタルカメラです。ティーチングプロ監修による解説ハンドブック付で、テレビや雑誌などのゴルフスイング解説のような撮影・再生ができるデジタルカメラです。自分の練習にも、この1秒間に最大1000コマが撮影可能なハイスピードムービーを搭載する「EX-FS10s」があればインパクトゾーンのイメージが正確に把握できるのでさらなる効果が期待できます。
?ユピテルの「アトラスゴルフスウィングトレーナーGST-2」 http://www.yupiteru.co.jp/products/atlas/gst-2/index.html
(実勢価格2万9800円)
ヘッドスピード、推定飛距離に加え、ミート率まで正確に表示するゴルフスイングトレーナーです。ボールを打たなくても、スイングスペースさえあればどこでも手軽にご利用いただけます。
?朝日ゴルフの「イーグルビュー」
http://www.atomicgolf.jp/fs/b005/a9071p02-0207
(価格1万9800円)
GPS衛星の電波を受信してプレイヤーの現在位置(緯度・経度)を算出し、その現在位置と予め登録された目的地点(グリーンや目標位置)までの距離を算出し、ディスプレイにその飛距離を表示する携帯端末です。また、磁気センサーと加速度センサーにより目的地点の方向を表示することもでき、さらに歩数や消費カロリーなど、プレイヤーに各種情報を提供することを目的とした携帯端末です。
?オリンパスビジュアルコミュニケーションズの「ビジョンゴルフ3D」
http://www.ep-s.jp/visiongolf/#/home/concept
(価格3万6645円 )
「ゴルファー脳」を提唱する大井静雄教授監修の革新的トレーニングメソッド機器で、「脳科学」と「最先端3D映像技術」の融合です。ゴルファー脳とスウィングのメカニズムから理想のスウィングイメージを脳に焼き付けます。目の前にプロのスウィングが3Dで飛び出して来ます。
ハイテク機器を生かすも殺すもあなた次第です。
最先端の科学を上手に取り入れて、あなたのゴルフライフがもっともっと楽しくなりますように。
トップを走ることのごほうびは、
パノラマのように変化する前方の景色が楽しめること
(中山庸子様)
【文中の画像は、ゴルフダイジェスト社刊 隔月刊雑誌 『チョイス』様の
No.182 2010月3月号よりお借りしました。ありがとうございました。】
<ご参考になさって下さい>
日本オープンゴルフ選手権競技 とは - Weblio辞書
http://www.weblio.jp/content/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%95%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9%E7%AB%B6%E6%8A%80
JGA 日本ゴルフ協会
日本オープンゴルフ選手権競技の門戸開放 http://www.jga.or.jp/jga/html/about_jga/vol61/top.html
JGA 日本ゴルフ協会
http://www.jga.or.jp/jga/jsp/index.html
愛知カンツリー倶楽部
http://www.aichicc.jp/top.htm
isaoaoki.com青木功公式サイト
http://www.isaoaoki.com/
hicbc.com:中日クラウンズ 50年の歴史|第2回大会
ムーディーを退けた理論家石井朝夫の執念 http://hicbc.com/special/crowns/50th_history/02/index.htm
林 由郎 Yoshirou Hayashi
http://www.rakuengolf.com/yoshiro/index.html
林由寿公式ホームページ・Hayashi pro Golf Lesson
http://www.hayashi-pro.com/index.html
パター&パッティング大百科
「パター&パッティングの歴史」 http://www.golfdigest.co.jp/gdo/column/choice/p020522.asp
球聖 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%90%83%E8%81%96
ボビー・ジョーンズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA
霞ヶ関カンツリー倶楽部
http://www.kasumigasekicc.or.jp/
那須ゴルフ倶楽部
http://nasugolf.jp/#/index/top
遊ぶ 天城高原ゴルフコース
設計者[井上誠一]紹介
http://www.amagikogen.co.jp/golf/inoue.html
枚方カントリー倶楽部
コース設計者 井上誠一氏について
http://www.hirakatagolf.co.jp/inoue1.html
廣野ゴルフ倶楽部 - ゴルフ場ガイド / E*GOLF(イー・ゴルフ)
http://reserve.e-golf.co.jp/user/guide_detailInit.do?gcd=hg106
JGAゴルフミュージアム
http://www.jga.or.jp/jga/html/museum/index.html
下野新聞「SOON」:栃木の最新ニュース・スポーツ・生活情報 http://www.shimotsuke.co.jp/
吉田兼好 徒然草について
http://www.mantyo.com/tureduregusa.html
浅見帆帆子Official Web Site/ Hohoko Style
http://www.hohoko-style.com/
ドラえもんチャンネルへようこそ!
http://dora-world.com/index.html
ゴルフダイジェスト 雑誌・出版情報
http://www.golfdigest.co.jp/digest/
未知との遭遇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E7%9F%A5%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%81%AD%E9%81%87
お客様は、神様です。本当にありがたいものです。
<いわし角煮>
<夫婦麦みそ>
今、普通に販売されている「お味噌」は、化学溶剤ヘキサンなどにより大豆の油分を抽出したあとの脱脂大豆に、他用途米(くずまい)でこうじをつくり、特別な酵母を加えて数週間で仕上げたものらしいです。味噌を白くするために漂白剤、保存性を高めるために保存料、さらには旨みを加えるためにアミノ酸調味料を加えているということです。
(これは 「小豆らいふ 手前味噌(みそ)のみそづくり」というHPの中の幕別町の「福田商店」様からの情報です。)
毎日毎日食べるお味噌です。口に入れても絶対安心なものであって欲しいですね。
お客様が、当工房におみやげに持って来て下さったのは、正確には「夫婦麦みそ」という名前だそうです。さっそくいただいてみました所、素朴な味わいでおいしくて、それ以来ずーっと買い求めて(偶然、道の駅「明治の森・黒磯」で見つけました)、いただいています。
持って来て下さったお客様ご自身も、「夫婦麦みそ」の材料である大豆・麦・米を生産されていて、かつ、製作者と一緒にお味噌も作られているとの事。なにやらこのお味噌にはおもしろい物語があるらしく、デジカメ・手帳・筆記用具と共に、好奇心もいっぱい連れて取材に行ってきました。
「エバゴルフ工房」から車で10分位でしょうか、「市村」さんという大きな農家で作られています。
<市村邸>
以下は、その時応対して下さった、「麦みそ」製作者の市村美枝子さんのお話です。
平成12年に、自然豊かな那須の大地で市村さんが育てた大豆・米・麦が、「全国農業コンクール全国大会」で「天皇杯」を受賞なさったそうです。
上の画像は、その記念にご主人の市村利男さんがご自宅前に建立された記念碑です。
皇居でいただいた「大きな大きな杯」は、以後一年間お出かけになる度、ドロボウさんに取られないように、奥の部屋の押入れの、そのまた奥の方にしまわれて出かけられたそうな・・・・・フフフ・・・・
そして平成13年、天皇皇后両陛下がおいでになられた時、受賞した大豆で作った「麦みそ」を食べていただいたそうです。
上の画像はその時のお写真です。
「天皇杯受賞記念」の記念碑の横に、「天皇皇后両陛下行幸啓記念」の記念碑も建立されていました。
「麦みそ」の作り方(簡単な説明でゴメンナサイ)は、製作する一日前に大豆を蒸かし、よくさまし、次の日、米麹・麦麹(京都より購入)・塩を混ぜてかきまぜ、さらに機械でよくかき混ぜ、ゆっくり寝かせます。人口添加物は一切加えていません。
1袋1キログラムで600円です。(市村さん宅で購入の場合。)
袋でも、箱でも、樽でも、何キロでも購入できるそうです。宅配で送ることも可能で、「遠方へのご贈答用にもどうぞ」という事でした。
東京方面にお住まいの方で、「昔のお味噌」の味が忘れられなく、定期的にご注文なさる方もおられるそうです
「エバゴルフ工房」の近くでは、道の駅「明治の森・黒磯」と「あさの」でも販売していますが、1袋630円になります。 (私は、直に市村さんから購入する事にしました。)
お味噌汁は、いつもご飯の側に鎮座していて、決して主役にはなれない脇役ですが、その脇役が無添加の本物のみそを使用しているものであれば、安心この上ないものですね。
確かにお店で200円前後のお味噌も見かけます。いくら安いからといって、くずの材料を使用し、その上さらに漂白剤や保存料など体に?の物が添加されているのを購入し、口に入れるのは「エゴ」ではないでしょうか?
外国産ではなく、国内のこの那須の大地のおいしい空気を吸って育った大豆で作られた「麦みそ」は、「エコ」そのものではないでしょうか?―「エゴ」から「エコ」へ―
市村さんが材料から心を込めて丁寧に作った「麦みそ」です!私、Better Half は自信を持って全国の皆さんにおすすめします!
パッケージだけにたよらないようにしましょう。
コマーシャルにばかりつられないようにしましょう。
本当にすぐれた商品は、派手な宣伝をしなくても売れます。
本当にすぐれた人柄は、説明されなくても感じとれるように。
中山庸子さん(イラストレーター・エッセイスト)
ああ、おいしい味噌汁を今日もたくさん飲んでしまった。そんでもって私は、順調に太ってます。笑笑笑笑笑・・・
市村さん、度々お伺いしてたくさんお邪魔してしまいました。にもかかわらず、ご丁寧に説明していただき感謝しています。ありがとうございました。
<「夫婦麦みそ」製造者の情報>
市村美枝子さん
栃木県那須塩原市北和田803
TEL:0287(65)0772
大きな地図で見る
<ご参考になさって下さい>
信田缶詰株式会社
http://www.fis-net.co.jp/shida/
いわし工房
http://www.sardine-factory.com/
小豆らいふ 手前味噌(みそ)のみそづくり http://www.azukilife.com/resipi/misodukuri.html
福田商店
http://homepage2.nifty.com/obwine/wines_page_6.htm
つけもの大学 手作り麹みその作り方
http://www.kohseis.co.jp/club/howto/miso.htm
田舎で暮らそう 自家製みそ作り方
http://homepage1.nifty.com/countrylife/miso1.htm
道の駅「明治の森・黒磯」
http://www.atochigi.ne.jp/road/roadside/meijinomori.html?ATOCHIGI=d5ba9a960ce
中山庸子の本屋さん
http://www.matsumotonakayama.co.jp/
「夢サロン」中山庸子さんライブラリー
http://www.k2.dion.ne.jp/~yu-salon/
プロゴルファー 小針春芳さん(88) ?プロ登録
いきなりコースレコード
「私の生きた刻(とき)」
プロゴルファー 小針春芳さん(88) ?兵役
病、自決・・・死線さまよう
昭和15(1940)年にプロになり、初めての試合が翌年の鷹之台CC(千葉市)で開催された関東プロ。真夏の暑い試合で、予選落ち。この年、旧程ケ谷CC(横浜市)で開催された日本オープンにも出場したのですが、初日1アンダーでトップに立ったものの最終的には12位前後。しかし、12月には真珠湾攻撃で開戦。戦前のプロとしての試合はわずかこの2試合だけでした。
この年にはゴルフ入場税の大幅アップ、9月にはゴルフ自粛通達が出ました。日本オープンもこれを最後に 8年間中止。職業とはいえ、ゴルフをやっていますと言える環境ではありませんでした。ゴルフクラブを風呂敷で隠して汽車に乗りました。
もちろん兵隊にも行きました。初めは昭和17年(1942)3月に中国山西省臨粉(りんぷん)で、師団通信隊無線隊員でした。ここから徳県に移り、翌年ニューギニアに渡りました。中国は気候もよく、食べ物もありましたが、ニューギニアは何もなく、つらい思い出として残っています。1年ぐらい食べ物はありましたが、サイパンの玉砕後は補給が途絶えました。食料も武器もない状況でした。
現地の人は移動しながらの焼き畑農業で、食べ物のないわれわれは現地人が移動した後の残りの芋で命をつなぎました。隣で作業していた日本兵が現地の人にやりで腹を刺されたこともありました。治療したくても薬がない。気の毒に亡くなりました。
アメリカの戦闘機グラマンの攻撃から、ジャングルの中を逃げ回る毎日でした。草原でグラマン3機に狙われたことがありました。将校は馬で近くの森に逃げましたが、私は隠れる所もなく、もうあの時は駄目だとあきらめました。グラマンはすぐ真上。全く動けませんでした。機銃掃射で弾丸が「ズダダダダッ」と等間隔で大地に穴を開けていく。でも、動けなかったことが幸いしてか私は奇跡的に助かったのです。
ニューギニアの戦いでは9割の日本兵が亡くなりました。でも戦闘での死亡は2割ぐらいで、あとは病死でした。病気で生きるのが嫌になってしまう。兵隊は自決用に手りゅう弾を1個持っているので、仲間がそれを握りしめて自決したこともありました。400人の部隊で生き残ったのは13人。よく助かったものです。自決した仲間のことは今でも時々、思い出すことがあります。
終戦後もマラリアで多くの仲間が亡くなりました。私もかかりました。日本兵はほとんどが栄養失調状態ですから、助かる確率は低くなります。げっそりとやせて、その後、水ぶくれのように体が膨らんでいく。かっけが出たらほぼ助かりませんでした。海岸で毎日、仲間の墓堀り。でもサンゴ礁で硬くてなかなか掘れない。こんな話をしても今の人たちには信じてもらえないでしょう。
私は使用ボールの番号は「5」に決めています。二度と死「4(死)」線をさまよいたくない。だから死線を越える「5」にこだわっています。
戦争を挟んで10年間クラブを握っていません。20代のほとんどです。その10年間がなければとなぐさめてくれる人もいますが、そういう時代に生まれたのだから仕方ありません。子供のころから耐えることには慣れています。でも、ゴルフと一緒で、いつかチャンスが来ると信じて生きてきました。(構成 井上孝男様)
【上記の文章及び画像は、栃木のニューヨーク・タイムズである「下野新聞(しもつけしんぶん)」様(これは“栃木が生んだスーパースター”のU字工事さんが言われています) よりお借りしました。ありがとうございました。】
私のパートナーは在宅の自営業(エバゴルフ工房)です。
昼食や夕食の時間というものは、お客様のご都合が最優先ですので、いつも定時にというわけにはいきません。しかし、「温かいお料理は温かいうちに、冷たいお料理は冷たいまま食べていただきたい」というのは、食材を吟味し、時間をかけて下ごしらえをし完成に至る、シュフという名のシェフのささやかな願いです。かつ、命を捧げてくれた食材達への礼儀なのではないかと思っています。
そんなふうにして一日3回、パートナーもMy Daughterも、そしてもちろん自分も、できるだけこまめにもてなしてさしあげたいものです。
そんなことも一因なのでしょうか、いつの間にか私は、お家にいるのが大好きで、お宅派・インドア派になってしまいました。今では、ちょっとした食料品のお買い物や銀行・図書館等への外出も、私にとっては立派な「小さな旅」になってしまいました。
しかし今回、以前からのお約束で、パートナーと一緒に車で高速に乗って、ちょっと遠くに本物の「小さな旅」(私にすれば「大きな旅」)をしてきました。2泊3日でしたが、色々準備に時間を費やしてしまい(持参する食材の購入や、調理等)、結局5日間程ブログ更新にタッチできませんでした・・・・・
そんなこんなで今回申し訳ありませんが、【?プロ登録と?兵役】を一緒にご覧になっていただいた次第です。宜しくお願いします。
小針先生は、第2回関東プロ招待競技において、36ホールストロークプレーで競うところ、まだ研修生なのに、なんと日本製の貸しクラブで、午前の18ホールは3アンダーの69コースレコードを出され、結果、54ホールプレーなさって日本オープンチャンピオン(1931年)の浅見さんと2打しか違わなかったとは!すごい!!すばらしい!!!!!
また当時はプロテストがなく、ゴルフ場が「うちのコースのプロです」と認めて協会に申し込めばプロになれたとは、驚きです!しかも小針先生が栃木県第1号のプロゴルファーであられたとは!!すごい!!! すばらしい!!!!!
そして私には想像もできないつらい戦争が・・・・・・
私の知らない世界が次々と展開され、またまた次回がとても楽しみです。
[?兵役]に「子供のころから耐えることには慣れています」と書かれてありましたが、そういえば私の母も、「昔の人は我慢強いんだよ」と事あるごとに言っています・・・・・・・
突然ですが、シュフは「楽で退屈そう」なんて皆さん思っていらっしゃいませんか?とんでもありません!
シュフはもちろん「家事や炊事をする人」ですが、他に、「ハウスキーパー」であり、「コーディネーター」であり、「プロデューサー」であり、「カウンセラー」であり、「ガーデンプランナー」であり、「ウエイトレス」であり・・・・・・・・・・「奉仕者」であり、「独裁者?」であり、「管理者」であり、「(私の場合限定:好きで結婚したのだから)パートナーをていねいにおしりにしいてあげる人」(笑笑笑笑笑笑)であり・・・・・・・と、一人何役もこなさなければならない重労働者なのですよ!
その上私には、(数字アレルギーなのに)帳簿の管理、エバゴルフ工房のHpの管理、ブログの更新(これは楽しい)というおまけの仕事もついています。あーーーーーーーー。
小針先生が想像を絶するご苦労をなされた事は、文面から十分お察しできます。本当に大変でしたね。
しかしある一面、私は小針先がとてもうらやましいのです。
小針先生は競技会というステージに立つことができて、良い結果を出せば当然それ相応の賞品や賞金をいただけ、ゴルフの試合を観戦に来たギャラリーさんから声援や拍手をいただき、いろいろな方からお褒めの言葉もいただけたはずです。歴史にも残り、世界中の人にも知ってもらえている筈です。
しかしシュフというものは悲しいかな、二十四時間、かいがいしく、なりふり構って(?)テキパキ動いても、ほとんど無評価で基本的には無報酬です。声援も拍手もお褒めの言葉も賞品も賞金もありません。
「自分がほめなくて、いったい誰がほめてくれるでしょう!」
そこでこの度、私ことBetter Halfは、生活のステージでいきいきと輝くステキなシュフになれますよう「Better Half新興宗教」を立ち上げました!
教祖はもちろん私Better Halfです!
入会金・会費は一切いただきません。また、いつ脱退されてもかまいません。
入会されましたら簡単な事をしていただきます。それは毎朝晩、鏡の中の自分を見て次のような「幸運を呼ぶ魔法の言葉」を唱えていただきます。
あなたはきれい!
あなたは若い!
あなたは本当によく頑張っている!
あなたはえらい!
あなたはとても幸せ!
とね。笑笑笑笑笑笑・・・・
「ほめられたがり」の私ですが、誰もほめてくれませんので、鏡に映った「私」を自分で上手にほめるのです。
鏡に映った「あなた」は、つまり「私」ですね。「私はきれい」というのには抵抗を覚えますが「あなたはきれい」ならさらりと言えますでしょう。
どうぞみなさま、「Better Half新興宗教」にご賛同なさる方はいつでもご勝手に入会し、お好きな時にご勝手に脱退して下さいませ。笑笑笑笑笑・・・・
だいぶ本題から脱線してしまいました。ごめんなさい。
小針先生は、今年プロ人生70年を迎えられるそうです。
春夏秋冬あらゆるトーナメントを自室の堀りごたつで、細大漏らさずウオッチングし、鋭く分析し、そして鮮明な記憶にファイルしているそうです。
冬になるとトーナメント中継が見れなくなります。その間は、テレビ栃木で毎日放映しているレッスン番組等で無聊(ぶりょう)を癒されているという事です。
しかし、毎日庭でシヨートアプローチは欠かさないとか。
「アプローチさえちゃんとしていれば、ドライバーなんて、いつでも打てるからね」と。
ここ数年気管支や手やひざの不調になやまされているらしいです。
どうか出来るだけ早く回復して、ぜひエージシュートの記録を作っていただきたいものですね。
(ゴルフダイジェスト 2010年新年超大号 昭和の青春、平成の青春 なかはらまこと様著参照)
【上の画像は、ゴルフダイジェスト社刊 隔月刊雑誌 『チョイス』様の
No.165 2008年7月号 <小春日和。>
よりお借りしました。ありがとうございました。】
<ご参考になさって下さい >
那須ゴルフ倶楽部
http://nasugolf.jp/#/index/top
日本オープンゴルフ選手権競技
日本ゴルフ界の足跡を刻む栄光の歴史
http://www.jga.or.jp/jga/html/2006/08-0/history/champions.html
鷹之台カンツリー倶楽部
http://www.takanodaicc.or.jp/
程ヶ谷カントリー倶楽部
http://reserve.e-golf.co.jp/user/guide_detailInit.do?gcd=kn126
FORTH(FOR Traveler's Health)
厚生労働省検疫所 海外感染症情報 マラリア
http://www.forth.go.jp/tourist/kansen/07_mala.html
とちぎテレビ
http://www.tochigi-tv.jp/
下野新聞「SOON」:栃木の最新ニュース・スポーツ・生活情報 http://www.shimotsuke.co.jp/
ゴルフダイジェスト 雑誌・出版情報
http://www.golfdigest.co.jp/digest/
「勝文堂」さんは、いつもとてもセンスの良い品々を展示して私達を出迎えてくれます。
文具・文房具はもちろん、便箋・封筒・ポチ袋・メッセージカード・絵手紙用ハガキ・お香・和紙等々、ただ拝見させていただくだけで楽しくなってしまう品々が、たくさん揃えられています。(他に結納用品・額縁・印鑑・OA用品・事務用品他各種)
ちょっとおじゃまするつもりがついつい長居してしまいます・・・・・・・・・
実は「勝文堂」さんには他にもお楽しみがあります。
何といっても、最初に目に飛び込んでくるのは、ひな壇の赤い毛氈(もうせん)の上におすまししてちょこんと坐っている、かわいいかわいいおひな様達です。しばしうっとりと見とれてしまいます。
つるし雛もあります。和装の小物達もあります。 それぞれが、きっとみなさんの目を喜ばせてくれると思います。
次のお楽しみは、山梨の「印傳屋」さんで作られた上品な革製品です。鹿の革に漆の模様が入っているそうです。
ご参考に下記の「印傳屋」さんのホームページをご覧になって下さい。
上級でセンスあふれる<和>のHPです。訪れてみる価値は十分にあると思います。
印傳屋|INDEN-YA
http://www.inden-ya.co.jp/
それから「勝文堂」さんで最も好奇心を刺激されたのはBANDAIの「LITTLE JAMMER」です。
「これは何ですか?」尋ねますと、奥様がリモコンを操作して下さいました。
すると、「ピアノ」「ギター」「ドラムス」「ウッドベース」「サックス」の5人のプレイヤーが音にあわせてリズミカルな動きをしながらセッションを奏でます。
メロディに合わせてピアニストの手が動き、足でリズムを取り、サックスが上下左右に揺れるなど、それぞれのプレイヤーがビックリする程リアルなパフォーマンスを演出するんです!
そしてなんとあの美空ひばりさん(別売りです。詳しくは下記の「LITTLE JAMMER」のHPをご参考になさって下さい)もいらっしゃいます!
付属のROMカートリッジに収録されている曲は、ジャズのスタンダードナンバーからブルース、ロックまで様々なジャンルを網羅しているそうです。
ご自宅はもちろん、色々なお店屋さん、喫茶店、レストラン、スナック、ペンション等の雰囲気作りにいかがでしょうか。また、お父様やおじ様達(団塊の世代をターゲットにしているとの事)へのプレゼントとしてもステキですね。
興味がおありに方は、ぜひ「勝文堂」さんに行かれてご覧になって下さい。おもしろいですよー。
また下記のHPもぜひご参考になさって下さい。
LITTLE JAMMER
http://livehour.jp/
下の画像は、今回「勝文堂」さんから購入したものです。かわいいでしょう。
?桜模様のポチ袋 ?竹のしおり(キキョウの花)
?かえるさんのお守り(金かえる)
?携帯ハンドクリーム(まさかのステキなおまけです)
お近くにお住まいの方はもちろん、ちょっと遠方にお住まいの皆様も、春の予感のする今日この頃、「勝文堂」さんにお出かけになり、じかにご覧になって下さい。(ただし、日曜日はお休みだそうです。ご注意下さい。)
<「有限会社 勝文堂」さんの情報>
〒325-0052 栃木県那須塩原市中央町5−1 TEL:0287-62-3631
最後に、お忙しい中、写真撮影や取材に快く御協力して下さった「勝文堂」さん、ありがとうございました。心から感謝申し上げます。
Better Half
「私の生きた刻(とき)」
「プロゴルファー 小針春芳さん(88) ? 就職
近さが縁 キャディーに
【上の画像は、ゴルフダイジェスト社刊の隔月刊雑誌『チョイス』
No.167 2008年11月号 <小春日和。>
よりお借りしました。ありがとうございました。】
人間界にはもちろんの事ですが、本という物にも「一目ぼれ」ってあるんですね。
上の画像は、私としたことが、「一目ぼれ」で購入したお菓子の本なのです。
まず何といっても、装丁の美しさが私の目を喜ばせてくれました。
本を開いてみますと、たくさんたくさんあるイラストがそれはそれはもうかわいくて(10人のイラストレータの方々が携わったようです)、その上、各ページの写真はとってもきれいで(本当に良い仕事していますねー)、レイアウトがまたまたすばらしいのです。ため息が何度出た事か・・・・・・
お菓子作りの基礎・材料・道具から飾り方・ラッピングまで至れり尽くせりの本です。(購入当時のお値段は現在よりちょっと安かったんですよ)
もう15年位前の事です。(でもこの時はまだ、シフォンケーキというものに全く興味がありませんでした・・・・・)
尚、今回このブログ内で使用させていただいたイラストは、この「お菓子基本大百科」よりお借りしました。あまりにかわいいのでついついお借りしてしまいました・・・・ありがとうございました。
それからしばらくして、そのころマンネリ化していたおせち料理作りを打開するため、本屋さんに出かけてみました。
その本屋さんで、栗原はるみさんの「すてきレシピ」という本に出会いました。(毎年、お正月の黒豆のレシピはこの本です)
「すてきレシピ」の本の中で、「こだわりのシフォンケーキ」というタイトルのページにはとても好奇心を刺激されました。いやあ面白かった。それから約200台ものシフォンケーキを作る事になるとは・・・・これは運命です。
でもなんといっても、上の「シンプル シフォンケーキ」のレシピが、私には一番相性がいいようです。これがなんとあのダイソーさんの本なんです。100円ですよ。エコですねー。(お安い本という事でエコその? )
現在は、この本のレシピを基本にして色々アレンジしています。
マーブル・バナナ・ハチミツレモン・コーヒーのシフォンケーキを作ってみました。
チョコレートシフォンも作ってみましたが、チョコレートが重くてあまりふくらみませんでした・・・・・・
それ迄およそ150台程作っては、その数を数えていましたが、いつの間にかちょっとめんどうになり、数えるのをやめてしまいました。大体200台位作ったような気がします?IEでシフォンケーキを検索してみました所、栗原はるみさんは、なんと今迄1000台以上作られたそうです。すごいですねー。
シフォンケーキの材料は、いつもその辺にある簡単なものです。バターは使いません。
作る時は、型にバターや粉をふる下準備はいりません。
なにより作っていて一番感動するのは、製作途中、オーブンの窓から見えるケーキの様子です。ビックリするほど本当によく膨らんでくれるんですよー。
(材料は身近にある物で、作り方も簡単、その上よく膨らむということでエコその?)
今日はバレンタインデーです。拙宅には、夫とか主人とかいう名前の「手ごろな男友達」がひとりいます。
エバゴルフ工房のHPを立ち上げるため、忙しくて、シフォンケーキ作りはしばらくお休みしておりました。
今年のバレンタインデーは、久しぶりにシフォンケーキを焼いて、「手ごろな男友達」に プレゼントしましょうか。
今回は超簡単な3台(プレーン・抹茶・コーヒー)のシフォンケーキを焼いてみました。
シフォンケーキは、(見た目と違い)食べてみると、メチャクチャ柔らかくその上おいしいので、プレゼントにはピッタリです。
プレゼント用には、下のように、ラッピングしたり、上のように、何種類かをまとめて、一台にしたりして差し上げています。いずれの時も、ホイップ済みで甘さひかえめの「明治のデザートホイップ」を包装してお付けしています。
3つ目のエコは、ケーキ作りの時、いつも使用している下の画像のお皿さんです。(白は4枚あります)
このお皿さんは、今はとても幸せですが、実は、前にとてもつらい経験をしたのです。
Better Half's Diary(エバゴルフ・ブログ)の2009年12月13日【「なんちゃってカキフライ」と「捨て主さん」に感謝!】でも記事にさせていただきましたが、なんとこのお皿さんは、その時と同じように、ゴミステーションに捨てられていたんです。とてもかわいそうなお皿さんだったんです。
例によって、いつもの儀式(小一時間位、漂白剤入りのバケツのお風呂に入り、その中で、汚れとともに、「捨てられた」と言う悲しい運命を消去し、さらにもう一度洗剤で丁寧に洗われる。)の後、晴れてまた新しい家族の誕生となったのです。(拾ったお皿ということでエコその?)
ケーキを作っていますと、家の中を、製作中に生まれるおいしい香りやおいしい音が散歩しているように思えます。もしかしたらそれらの中には「しあわせのシード(種)」がたくさん入っているのではないでしょうか。
それにしてもキッチンという所は健康や幸福のパワーを生み出す大切な場所なんですねー。
イラストレイターやエッセイスト、料理研究家、写真家などは資格検定試験があるわけじゃないので、名乗りたい時に名乗れます。
今日は、自宅という小宇宙で、シフォンケーを作って料理研究家を気取り、写真家になって写真を撮り、イラストレーターになったつもりで他人様のイラストを拝借し、エッセイストになって記事を書き、ようやくこのブログが完成しました。
そこで今日のエバゴルフ工房のブログは、
記事のタイトル:シフォンケーキと3つのエコ
作者:Better Half (料理研究家・写真家・エッセイスト・イラストレーター)
なーんちゃってね!see you again!
<ご参考になさって下さい>
シフォンケーキあれこれ
http://www.kumisuke.jp/cake/
【ELLE a table】栗原はるみのスパイスシフォン http://www.elle.co.jp/atable/cooking/recipe/6622
お菓子基本大百科
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=4-08-309004-9&mode=1
土曜日の「栃木のニューヨーク・タイムズ(下野新聞)」には「私の生きた刻(とき)」というコーナーがあります。
2月6日はプロゴルファーの小針春芳さんについて書かれてありました。
小針先生は拙宅から車で5分位の所に住んでいらっしゃいます。
私が外出のため車を運転していますと、どちらかにお出かけになるのでしょうか?背中をピンと伸ばし(最もご本人は無意識なのでしょうが)、自転車をこいでいらっしゃる小針先生のお姿を、時々拝見いたします。
御歳88歳になられるとか・・・とても若々しくお元気そうでうらやましい限りです。
ある時、私はとてもビックリしました。
その日、当工房にいらして下さった、あるプロにお茶を差し上げる為、ドアを開けた所、それまで椅子にお座りになっていたプロが、「気をつけ!!」の姿勢を保ち、直立不動で立たれているではありませんか?それもいままで一度も拝見した事がないような緊張したお顔で・・・・
ん?と思い、視線を移動しますと、なんと小針先生が椅子にお座りになっていらっしゃいました!(プロ来店の後、小針先生がいらっしゃったようです。 )
小針先生もプロも当工房に時々いらっしゃいます。たまたまその時一緒になってしまったのです。その時の直立不動のプロの様子は、「エバゴルフ工房」の歴史の中でも、絶対忘れられないシーンです。
小針先生がとても素晴らしい先生であるという事は、ずっと以前から私のパートナーから伺っておりました。でもその事件?以来、私の想像以上に素晴らしい先生である事を再認識し、さらにさらに尊敬度がアップし、上書き保存させていただきました。
その小針先生が、「栃木のニューヨーク・タイムズ(下野新聞)」の「私の生きた刻(とき)」に掲載されるているではありませんか!
全国のみなさんにもぜひご覧になっていただきたく、あえてコピーさせていただきました。下野新聞様、構成の井上孝男様ありがとうございました。
上の画像は
Choice ゴルフダイジェスト チョイス No.164 2008年5月号
<小春日和。>よりお借りしました。
ありがとうございました。
「私の生きた刻(とき)」
? 初優勝
とても暑い日でした。我孫子GC(千葉県)の15番パー3、高麗グリーン。中村寅吉さんが、1メートルを外しボギー、私が約60センチのパーパットを沈め、初優勝を決めました。マッチプレーの33ホール目でした。
昭和30(1955)年6月の関東プロゴルフ選手権大会。34歳の時でした。兵役などで約10年間クラブを握っていませんでした。これからも農業に従事しようか、プロとしてやっていこうか悩んだ末に、ゴルフを選らんだのが2年前。この勝利でようやくプロとして食っていけると思ったことを思い出します。
現在のプロトーナメント四大大会は日本オープン、日本プロなどですが、当時はスポンサートーナメントは無いに等しい時代で、日本オープン、日本プロ、関東オープン、関東プロがメジャー競技でした。
1年前の関東オープンで栗原甲子男(くりはらかしお)さんとのプレーオフで敗れて2位。今回も優勝は厳しいと思っていただけに、最も印象深い優勝です。当時、「結婚した時よりうれしい」とコメントしたようです。
当時の関東プロ、関西プロ、日本プロは予選でベスト16に絞り込んでのマッチプレー方式でした。準決勝、決勝は36ホールです。
下馬評は中村さん絶対優勢でした。私を20ヤード近く置いていく豪快なフック回転のドライバー、フェードの切れの良いアイアンとまともにやって勝てる相手ではありませんでした。
試合は8ホールを終って私の3ダウン。これは記録的大敗を喫してしまうのではと、ぞっとしました。それでも何とか「寄せワン」でピンチをしのぎ、16番から3ホール奪って前半18ホールをオールスクエアに戻しました。ショートパットが入らない中村さんはカリカリきたのでしょうね。
後半の1番パー4。バーディチャンスにつけた中村さんに対して私はバンカー。グリーンに乗ったものの10メートルを残しました。でも、これを沈めてナイスパー。中村さんは逆に入らずパー。このホールが勝負の分かれ目となったようです。
中村さんは3番パー3でOBをたたき、11番では60センチのパーパットを外すなど流れは一気に私に。14番パー4で返されましたが私の3アップ。そして試合を決め15番を迎えたわけです。4アンド3(3ホール残して4アップ)の勝利です。
後半の9番パー4では私が長いバーディパットを沈めたら、中村さんはグリーンエッジからチップインバーディーとギャラリーを沸かせたのを記憶しています。
2位となった昭和29(1945)年の関東オープンも我孫子GCでの開催。プロ月例競技でも連続ボギーでスタートしたにもかかわらず、67のコースレコードを出したこともあるし、我孫子GCは私にとって相性がいいコースでした。
<小針春芳(こばり はるよし)プロのプロフィール >
1921(大正10)年4月29日、那須郡高林村(現那須塩原市)生まれ。
高等小学校を卒業して36年に那須GCに就職。
40年にプロ登録。那須GCから一度も動かず、「那須の神様」「那須の小天狗」と呼ばれた。
クリーク(5番ウッド)の名手。 2度の日本オープン優勝などツアー7勝、シニアツアー7勝。
那須塩原市在住。88歳。
<中村寅吉プロのプロフィール>
1951(大正4)年横浜生まれのプロゴルファー。戦後の日本プロゴルフ界を支えた人物。
57年に日本で開催されたカナダカップで小野光一プロとともに出場し団体、個人優勝。
レギュラーツアー25勝、シニアツアー12勝。
2008年、92歳で死去。
上の画像は
Choice ゴルフダイジェスト チョイス No.154 2006年9月号
<小春日和。>よりお借りしました。
ありがとうございました。
<御参考になさって下さい>
JAPAN OPEN GOLF CHAMPIONSHIP
日本オープンゴルフ選手権競技 History[ヒストリー] http://www.jga.or.jp/jga/html/2006/08-0/history/history.html
ゴルフの図書館/ Choice レッスン・ノンフィクション
名人・小針春芳 ITゴルフを試す
http://www.golf-book.net/choice/index.html
ゴルフダイジェスト 雑誌・出版情報
http://www.golfdigest.co.jp/digest/book/
中村寅吉ギャラリー
http://www.tokai.ne.jp/tora-gallery/index.html