blog index

Better Half's Diary(エバゴルフ・ブログ)

エバゴルフ工房のHPをご覧になって頂きありがとうございます。素敵な言葉・おもしろい言葉・感動した言葉などを書き留めたものが少しあります。出来るだけ暖かい温度を持っている言葉達を選び、足したり、引いたり、掛けたり、割ったりしながら、書き綴ってみたいと思います。ゴルフ・エコ・お花・お笑い・お料理・わが街の事やその時々の思いなど七つのカテゴリーを設けさせて頂きました。よろしくお願いします。              オーナーの妻(管理人)
<< 2012年ブルーベリー物語 | main | 2012年リース物語 <よつどめ> >>
祝!小針春芳プロ「日本プロゴルフ殿堂」入り!

殿堂
<第1回日本プロゴルフ殿堂入り式典>


日本のプロゴルフ界に偉大な功績を残し、多くの人に感動を与えた選手を後世に伝えるため、日本プロ協会(PGA)日本女子プロ協会(LPGA)日本ツアー機構(JGTO)の3団体が、「偉業を称え、未来を拓く。ゴルフから」のスローガンで、感謝と敬意を表する「日本プロゴルフ殿堂」を昨年10月に設立しました。

栃木県のプロ第一号である小針春芳プロは、「日本プロゴルフ殿堂」の第1回顕彰者7名の一人に選ばれ、2012年3月26日、顕彰を受けられました。おめでとうございます!

7名のうち、唯一ご存命の小針春芳プロにはブレザーが進呈されました。

式典には、長男の良一さん(下写真中央)が代理で出席されました。


表彰
<小針春芳プロの代理で出席された長男の良一さん>

クラブのライン−1


以下は、第1回「日本プロゴルフ殿堂」顕彰者の7名です。

(内容は「日本プロゴルフ殿堂」のHPを参考にさせていただきました。)

宮本留吉ー1
宮本留吉(みやもと・とめきち)プロ


1902(明治35)年9月25日〜1985(昭和60)年12月13日

日本オープン6勝、日本プロ4勝、関西オープン4勝、関西プロ4勝

1929年の第2回ハワイオープン安田幸吉プロとともに日本人として初めて参戦し、日本プロ初の海外遠征を果たしました。
 
ツアー競技、シニアツアーのなかった時代、賞金ランクも年齢制限のくくりもないゴルフ競技のフィールド、メジャーだけが競技だった時代、メジャー20勝、生涯グランドスラムを4サイクル達成は未曽有の記録でした。


クラブのライン−1


浅見緑蔵
浅見緑蔵(あさみ・ろくぞう)プロ

1908(明治41)年8月20日〜1984(昭和59)年6月19日

日本オープン2勝、日本プロ2勝、関東プロ2勝
 
脂の乗った時期を兵役に奪われましたが、1928(昭和2)年の日本オープンは2位に7打差をつけプロゴルファーとして最初の日本オープンチャンピオンとなりました。ときに19歳9カ月と7日。この記録は日本オープン史の最年少記録として、いまだ破られていません。

6カ月後の第3回日本プロで優勝。日本オープンに次ぐメジャー連続制覇、年間で2つのメジャーをすべて獲得する偉業は、弱冠20歳3カ月と10日。この記録もまた伝統のメジャー競技、日本プロ選手権の最年少記録としていまだプレーヤーの目標となっています。

1931年、日本オープン、日本プロさらに関東プロの第1回大会にも勝利し3冠を達成しました。
 

クラブのライン−1


戸田藤一郎
戸田藤一郎(とだ・とういちろう)プロ


1914(大正3)年11月22日〜1984(昭和59)年7月11日

日本オープン2勝、日本プロ4勝、関西オープン4勝、関西プロ5勝

日本オープン2勝、日本プロは3連覇を含む4勝。関西オープン4勝、そして関西プロでも3連覇を含む5勝とメジャー15勝。輝かしい金字塔をたてました。戦後に新設されたシニア競技では関西プロシニアを勝ち、日本プロシニアでは5連覇を含む6勝をあげました。シニアでの7勝をも含むとメジャー22勝。日本ゴルフ史上、最多のメジャー・タイトルホルダーです。
 
1939(昭和14)年に日本オープン、日本プロ、関西オープン、関西プロのメジャー4戦の全タイトルを年間、一手におさめたグランドスラムが光ります。
 
1936年日本人プロとして初めてマスターズに出場するなど海外遠征のパイオニアの一人でもありました。

クラブのライン−1


中村寅吉
中村寅吉(なかむら・とらきち)プロ


1915(大正4)年9月17日〜2008(平成20)年2月11日

日本オープン3勝、日本プロ4勝、関東オープン5勝、関東プロ3勝、カナダカップ(現在のワールドカップ)個人・団体優勝

「トラさん」の愛称で親しまれた中村プロは57年、ワールドカップの前身のカナダカップに、小野光一プロと組んで出場。団体、個人で日本勢初Vの快挙を達成しました。日本の力を世界に知らしめ、ゴルフブームの火付け役となりました。

指導者として、樋口久子プロを世に出し全米女子プロ選手権の優勝に導きました。

日本女子プロ協会(LPGA)会長、日本プロゴルフ協会(PGA)副会長を務められました。
 

クラブのライン−1


小野光一
小野光一(おの・こういち)プロ

1919(大正8)年5月19日〜2000(平成8)年11月6日

日本オープン3勝、日本プロ1勝、関東プロ5勝、カナダカップ(現在のワールドカップ)団体優勝

1957年のカナダカップ(霞が関CC東)で中村寅吉プロと組んで優勝、日本のゴルフを海外に知らしめました。

日本統治下の中国に生まれ育ち、日本の関連ゴルフ場でゴルフとめぐり合い、日本にきました。その後、ゴルフで数々のタイトルを手にしますが、その数奇な運命とエポックメーキングとしての存在感は他を圧するものがありました。
 

クラブのライン−1
 
林由郎
林由郎(はやし・よしろう)プロ

1922(大正11)年1月27日〜2012(平成24)年1月2日

日本オープン2勝、日本プロ4勝、関東オープン2勝、関東プロ2勝

1950年、日本オープンと日本プロがわずか1日おいただけで開催され、林プロはその両方のタイトルを取りました。9日間で2メジャー優勝。それもオープンとプロの2大タイトル。今後決して起こらない前代未聞の出来事でした。

今年1月に89歳で亡くなった林プロは、戦後のゴルフ興隆に多大な貢献を果たしました。

選手としての実績だけではなく、名伯楽としても知られ「我孫子一門」として青木功プロ尾崎将司プロら6人の賞金王、賞金女王を輩出しました。
 

クラブのライン−1

小針春芳
小針春芳(こばり・はるよし)プロ


1921(大正10)年4月24日生まれ

栃木県那須塩原市在住。91歳。

日本オープン2勝、関東オープン2勝、関東プロ2勝

1936年那須GCに就職、1940年プロ入り。わずか2戦で第2次世界大戦勃発、約10年にわたってゴルフを離れました。戦後のゴルフ界復興期を支え今日のトーナメント隆盛に寄与したトッププロゴルファーです。日本オープン2回、関東プロ2回、関東オープン2回優勝。シニア7勝。カナダカップには2回出場。高いティーから打つ正確無比なドライバーショットと5番ウッドの名手として知られました。生涯那須を動かず「那須の小天狗」「那須の神様」と言われました。

1955(昭和30)年の関東プロ(千葉・我孫子GC)。マッチプレー33ホール目、小針プロは中村寅吉プロを下し、初優勝を飾ったのが34歳でした。
 
中学を卒業、16歳で国鉄の就職試験を受け筆記は合格するも身体検査で色弱がわかり不合格。同じころ建設中の那須GCに就職しました。やがてキャディー兼研修生となった19歳のとき、ホームコースの那須で第2回関東プロ招待競技にコースの推薦で出場するといきなり2位になりました。それも自分のクラブは持っていなかったので、貸しクラブを使っての快挙だったのです。

大会には浅見緑蔵プロはじめ中村寅吉プロ、安田幸吉プロらトップ選手がそろって出場。1日36ホールの争いでした。18ホールを終わって3アンダー68のコースレコードを記録しトップに立ちました。午後は76でまわり首位の浅見プロと9ホールのプレーオフ。それでも決着がつかずさらに9ホールプレーしましたが、力尽き2打差で敗れました。この好成績が認められ、晴れてプロ入り。当時はゴルフ場が「うちのプロです」と認めればプロになれた時代でした。
 
華やかなスタートでしたが、この年日本オープンなど2戦に参戦しただけで12月に第1次世界大戦開戦、兵役に就き中国、ニューギニアを転戦しました。死線を何度もさまよいニューギニアでは400人の部隊で生き残った13人の一人でした。
 
時代に翻弄されながらの数奇な人生。日本ゴルフの中心を歩んだ当時100人ほどのプロの中でも小針プロの生きざまは壮烈でした。日本オープンは2度タイトルを手にしました。最初は1957(昭和32)年、愛知CC東山の第22回大会。36ホールでトップに立ち石井朝夫プロ、林由郎プロとの優勝争いを制しました。57年と言えばカナダカップで日本が優勝した年、シーズン最後のビッグイベントとして注目の大会でした。小針プロが“第3の男”としてその存在を語られるのは“遅れてきた男”のイメージが重なるせいでしょう。
 
2勝目は1960(昭和35)年の広野GC。3日間72ホール。最終日に36ホールを行うタフな大会は、2連覇を目指し、トップを走る陳清波プロを追って小野光一プロ、小針プロが最終組、同組で追う展開でした。しかし、陳プロに2打及ばず小針プロ2位、小野プロ、藤井義将プロ、ムーディープロらが3位のはずでした。ところが、スコアを提出したあと11番パー4、陳プロがバンカーに入れボギーとしたのを、マーカーの小野プロがパーと記入、陳プロも確認を怠りスコア誤記で失格となりました。このことを小針プロは風呂に入っていて知りました。「私には何のことかわからなかった。ゴルフに失格なんかあったのかキツネにつままれたようだった」と驚く大事件でした。
 

クラブのライン−1


後日、我がパートナーが、小針プロのご自宅に「日本プロゴルフ殿堂」入りのお祝いに伺いました。

その際、小針プロよりご自身の写真を頂戴してまいりました。ありがとうございました。

わが家の「家宝」にさせて頂き、新しい工房に飾らせて頂いています。
 

小針プロ
<小針春芳プロ>

クラブのライン−1


尚、11月2日、那須塩原市の発展や市民福祉の向上などに功績があった人や団体を表彰する「平成24年度那須塩原市表彰式」が行われました。
 
小針春芳プロは、スポーツの分野で功労が認められ表彰されました。 おめでとうございます。

クラブのライン−1


以上、ここ一週間程、感謝と賛辞と敬意を心に、小針春芳プロはじめ、偉業を成し遂げられた方々の足跡を辿ってみました。

その途中、ふと、何度も立ち止ってしまいました・・・・・・
 
「いったい、私自身は何を残せるだろう?」と。・・・・・・
| Better Half | ゴルフ | 10:14 | comments(0) | - | pookmark |
コメント
コメントする


 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>

bolg index このページの先頭へ