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Better Half's Diary(エバゴルフ・ブログ)

エバゴルフ工房のHPをご覧になって頂きありがとうございます。素敵な言葉・おもしろい言葉・感動した言葉などを書き留めたものが少しあります。出来るだけ暖かい温度を持っている言葉達を選び、足したり、引いたり、掛けたり、割ったりしながら、書き綴ってみたいと思います。ゴルフ・エコ・お花・お笑い・お料理・わが街の事やその時々の思いなど七つのカテゴリーを設けさせて頂きました。よろしくお願いします。              オーナーの妻(管理人)
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小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」 契 約


小針プロ

 「私の生きた刻(とき)」


プロゴルファー 小針春芳さん(89)   契 約


プレー支えた用品提供


 私は戦後の世界のゴルフ3大メーカーの一つ「ウイルソン」との日本契約プロ第1号です。昭和30、40年代は国産メーカーとは品質にまだ差があり舶来品全盛時代。ウイルソンはスポルディングマクレガーと並ぶメーカーでした。私は昭和36(1961)年ごろに橘田規(きったただし)さん(30、32回日本オープンチャンピオン)とともにウイルソンとの契約を結びました。20年以上お世話になりました。  

 毎年シーズン前にクラブのフルセットを送ってもらいました。もちろん私の指定したシャフトの硬さ、バランスにしたものです。シーズン途中でドライバー(1W)などが合わなくなれば、単品でのオーダーも可能でした。ただ、現在のプロのようにシーズンを通した金銭契約ではなく、クラブ、手袋など物だけの契約でした。海外の試合では旅券はウイルソンがサポートしてくれました。
 私がプロになった戦前はサンドウエッジもありませんでした。ジーン・サラゼンが発明したのは昭和初期らしいのですが、私が手にしたのは戦後。それまでショートアイアンを開いてカット打ちでバンカーから脱出していました。サンドウエッジを手にした時は便利なクラブができたものだと関心しました。アイアンだって芯の小さいマッスルバックだけ、現在は芯の広いキャビティが主流ですからクラブの進歩もすごいですね。
 ボールの契約はダンロップで、昭和30年代半ばから現在も続いています。私は太平洋戦争で「4(死)線」をさまよった経験から、ボールの番号は死線を越える「5」に決め、今もこだわっています。5番のボールを年間20ダース提供していただいています。
 ウエアは長年、マンシングと契約していました。10数年お世話になりました。石井朝夫(いしいともお)(日本シリーズ初代チャンピオン)が古くからマンシングでした。契約前に関西の本社になぜかジャンボ(尾崎将司プロ)と行き、ウエア数点を頂いたことがありました。契約はその後、東京・御徒町の事務所で結びました・ジャンボはすでにほかのメーカーと契約していましたが、なぜその時に一緒にマンシング本社に行ったのか思い出せません。今思い出しても不思議ですが、確かにジャンボでした。  

 試合のウエアで私は柄物は着ません。地味なプロと雑誌で揶揄(やゆ)されたこともありました。無地でないとアドレスした時に柄がチラチラと気になり集中できません。上は白無地、ズボンも無地。それも紺系がいいですね。帽子もやや小さいものを、きっちりかぶります。
 ですから、春、夏、秋と毎年ウエアは提供されましたが、私の希望通りシャツ、セーターは無地、スラックスは紺系統でした。年間でセーター4、5枚、シャツ10枚前後、スラックス5、6本だったと思います。ほかに靴下、帽子が提供されました。
 自分で購入するのは下着とスパイク、ボールを乗せるティーぐらい。バブル時代、皆さんが高価なカシミヤセーターを競って購入していた時代にはやはりカシミヤ製品が提供されました。ありがたいことです。
 試合では地味ないでたちですが、イベントではニッカーポッカー姿にさせられることもしばしばありました。昔の仲間と同じ姿、スコアは関係ないからそれはそれで楽しいものです。
 クラブの話に戻りますが、ウッドはウイルソンスタッフモデルを長く使用しました。私の特徴はドライバーが重かったこと。通常、クラブは番手が小さくなれば重くなるのですが、ドライバーだけは固くて重いXシャフト。
 ドライバーはティーアップして打つためボールの状態が一定しているので、手で小細工しないために重く設定しました。バランスはD5ぐらいでしたが、今振り返ると、その設定のクラブが振れたのですから腕力があったのですね。(構成 井上孝男)


【上記の文章及び画像は、2010年4月24日の下野新聞よりお借りしました。ありがとうございました。】


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上の文中に登場されたみなさんに関連する、ロマンあふれる(セピア色の)画像が少し集まりました。よろしかったら、当時に思いを馳せながらご覧になって下さい。


<第11回カナダカップ
橘田規 石井朝夫
<昭和38年の第11回カナダカップに出場した石井朝男・橘田規の日本ペア
(団体8位タイ) 左端・謝永郁、2人目・陳清波 日本ゴルフ史より>

<橘田規(きったただし)>
 橘田規
JGA 日本ゴルフ協会 日本ゴルフ界の足跡を刻む栄光の歴史
ライブラリー:日本プロの歴代優勝者写真一覧
ライブラリー:日本プロの歴史より>

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<ジーン・サラゼン、ボビー・ジョーンズ、他>
ジーン・サラゼン
20人の名手たちより>

<ジーン・サラゼン>
ジーン・サラゼン
歴史を作った名手たち20人 ジーン・サラゼン インデックス
 20人の名手たちパターが好きやねん!、ロペ倶楽部より>

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<石井朝夫(いしいともお)>
石井朝夫
PGA シニアツアー中日クラウンズ50年の歴史
日本シリーズ歴代優勝者 第1回石井朝夫(1963年11月5〜9日)
Choice 2010年7月号より>


Choiceの2010年7月号に石井朝夫プロの特集が掲載されていました。
「昔は命を賭けた真剣勝負、今はゴルフが道楽」という石井朝夫プロ。ちょっと気になって、画像をお借りしてみました。


<左から石井朝夫、宮本留吉戸田藤一郎石井哲雄
石井朝夫
<日本のゴルフを引っ張ってきた偉大なる先達の貴重な1枚。>


石井朝夫
マスターズ13番グリーン上、ピンに当たってバーディパットがカップイン
しなかった。当時(1964年はピンを挿したままパッティングしていた。
翌年から変更に。)>

記念プレート
<1964年マスターズのパー3コンテスト、ニアピン賞の記念プレート。>

カナダカップ
<1963年パリで開催されたカナダカップに出場。
後ろにはウインザー候の顔が見える。>

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<尾崎 将司>
尾崎将司
徳島の20世紀ジャンボ尾崎公式ウェブサイト
日本ゴルフ界の足跡を刻む栄光の歴史
FUJISANKEI CLASSIC 歴代優勝者日本ゴルフ史より>

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次回、小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」は、「  一期一会」 です。

「Better Half's Diar」で、またお会いしましょう。

ごきげんよう。

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