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Better Half's Diary(エバゴルフ・ブログ)

エバゴルフ工房のHPをご覧になって頂きありがとうございます。素敵な言葉・おもしろい言葉・感動した言葉などを書き留めたものが少しあります。出来るだけ暖かい温度を持っている言葉達を選び、足したり、引いたり、掛けたり、割ったりしながら、書き綴ってみたいと思います。ゴルフ・エコ・お花・お笑い・お料理・わが街の事やその時々の思いなど七つのカテゴリーを設けさせて頂きました。よろしくお願いします。              オーナーの妻(管理人)
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「Better Half'sマスターズ特集」No.1ボビー・ジョーンズの夢


 ボビー・ジョーンズ
<球聖、ボビー・ジョーンズ>


ゴルフの祭典「マスターズトーナメント」。

会場の「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」に足を踏み入れた瞬間、誰もがその特別な空気に包まれ、世界最高峰のコースに驚き、吸い込まれ、何ともいえぬ幸福感に変わって行く―。

何故か訪れる人誰もがそんな魔法にかかってしまうとか・・・・・・・・

ゴルフを愛するすべての人を魅了し、その素晴らしさから「世界でいちばん天国に近い場所」とも言われている「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」。

今回は、球聖と呼ばれていた「ボビー・ジョーンズ」が、そのゴルフ場を造られた「夢の軌跡を」たどってみました。

マウス片手に時空をさかのぼり、およそ1930年前後の「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」の歴史の世界をご一緒にお散歩してみましょう。

「球聖、ボビー・ジョーンズ」の歴史とは比べものにならない、(約2万2千日足らずの)ごくごくありふれた普通の人生という歴史を携えたBetter Halfが、心をこめてご案内させていただきます。ごゆっくりどうぞ。 

≪農園から世界一美しい完璧な夢のゴルフコースへ!≫

もとはインディゴ(藍)農園でした。

「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」の歴史は、ベルギー人の男爵「ルイ・マシュー・エドアルド・バークマンズ」が農園を開始した1857年に始まります。
男爵は、約365エーカー(約446,000坪)の敷地で、染料の原料になるインディゴ(藍)を主とした農園を営みながら、男爵の息子さんの「プロスパー・ジュリス・アルフォンソ」とともに、世界中から色々な植物を輸入する会社を経営していました。
1883年に男爵が亡くなり、1910年に息子さんも亡くなったため、1918年に全ての営業は停止しました。その後ホテルの建設計画も持ち上がりましたが、実現しませんでした。
しかし、主のいない農園跡地には色々な植物が残っていました。南北戦争前から植えられた「マグノリア(和名:モクレン)の木」や、息子さんがアメリカで流行させた「アザレア(和名:ツツジ)」などなど・・・・・
 

1928年、「ボビー・ジョーンズ」がマッケンジー博士と出会う。
  
1870年、「アリスター・マッケンジー」は、医者の子としてイングランドに生まれました。

アリスター・マッケンジー博士
<アリスター・マッケンジー博士>


「アリスター・マッケンジー」は、ケンブリッジ大学で薬学を学び、博士号を取得しました。
ところが、腕前はそれほどではなかったものの熱心なゴルファーで、やがてゴルフ場の設計に深い興味を抱きました。

1927年、米国に渡り、カリフォルニアで、英国ゴルフコース設計家「アリスター・マッケンジー」として、「サイプレス・ポイント」という彼の最高傑作のゴルフ場を造りました。

サイプレス・ポイント
<マッケンジーの代表作、サイプレス・ポイント>


サイプレス・ポイント

<バックナインには、海に向かってのロングドライブが待ちうけ、
ゴルファーを圧倒>


1年後、(全米アマを1回戦で敗れた)「ボビー・ジョーンズ」は、この「サイプレス・ポイント」でプレーをしました。

 ボビー・ジョーンズ
<全米アマ後、サイプレス・ポイントでのボビー>


「何と美しくて格調高く、プレーし甲斐のあるコースなんだろう!!」
「ボビー・ジョーンズ」は思わず嘆声をあげ、その設計の素晴らしさに感動しました。

「ボビー・ジョーンズ」が、「アリスター・マッケンジー」の造型に感心したのは、美しい景観に対してだけではなく、博士が開発した博士独特の“カモフラージュ”という技法でした。
それは、樹木やマウンド、バンカーなどの配列や大きさを工夫する事によって、ゴルファーの遠近の感覚を狂わせる技法だったのです。
コースのレイアウトなどほとんど目に入らない初心者は引っかかる事はないのですが、上級者ほどこのカモフラージュに欺かれたという事です。

こうして、「サイプレス・ポイント」でコース設計の妙に接した「ボビー・ジョーンズ」は、「アリスター・マッケンジー」の名前を心に深く刻み込んだのでした。
 
後に「ボビー・ジョーンズ」が語った所によると、「アリスター・マッケンジー」のコースは、「上級者にとっては尽きる事ない挑戦欲をそそられる一方、アベレージ・ゴルーファーや初心者にも、いいスコアで回れるようなルートを周到に用意してあるコースだった」という事です。
 

1930年「ボビー・ジョーンズ」、メジャー四冠達成!

「ボビー・ジョーンズ」は1930年の1年の間に、全英アマチュア、全英オープン、全米オープン、全米アマチュアの四大タイトルを獲得しました。

 ボビー・ジョーンズ
<全英オープントロフィーを手中に収めるボビー>


四冠達成
<クヮドリラテラル達成の瞬間。握手を交わすホーマンズ(右)とボビー>


ゴルフの歴史が始まって以来、1年間でメジャー4試合を制するという快挙は、これまであらゆるスーパースターが挑戦してきましたが、「ボビー・ジョーンズ」ただ一人を除いて、達成した者はいませんでした。
この快挙は“クヮドリラテラル―光輝ある四辺形―”と呼ばれ、「グランドスラム」と称されて後代まで伝えられています。
 

四大メジャーのカップ
<四大メジャーのカップ。
左から全英オープン、全米アマ、全英アマ、全米オープン>


しかし、グランドスラムを成し遂げた「ボビー・ジョーンズ」自身は、喜びに浸るどころではありませんでした。
表彰式が終ってロッカールームに引きあげると、椅子に座って頭をかかえ、父親に言ったそうです。
「もうたくさんだ」と。
競技ゴルフを続ける事に、そして世間の期待に応えるためにプレーする事に、彼は疲れ果てていたのです。
その晩秋、彼は全米ゴルフ協会に競技から引退することを告げる手紙を書き送りました。

「ボビー・ジョーンズ」、この時28歳でした。

グランドスラムを達成して競技ゴルフから引退を宣言後、彼は理想とするゴルフコースとトーナメント作りに専念するようになりました。
その彼が情熱を注いで完成させたのが「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」であり、「マスターズ」だったのです。

 
≪「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」誕生物語≫
 
1931年、「ボビー・ジョーンズ」はゴルフコースを作りたいと言う「夢」を持って、ゴルフ場を造る土地を探していました。
 
(「ボビー・ジョーンズ」のゴルフコースを作りたいと言う「夢」を支えたのが、ニューヨークの株式仲買の仕事で財を築いた「クリフォード・ロバーツ」という友人でした。彼は「ボビー・ジョーンズ」のオーガスタ・ナショナル建設の夢の実現のため積極的に奔走しました。
「クリフォード・ロバーツ」は、1931年から1976年まで、「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」の会長を務めています。尚、現在の会長は「ビリー・ペイン」です。)

ボビーとロバーツ
<「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」創生前の
ボビー(左)とロバーツ>


ある時「ボビー・ジョーンズ」は、「クリフォード・ロバーツ」との共有の友人である「トーマス・バレット・Jr」に、「あの農園跡地を見に行ってみてはどうか」と勧められました。
そして、農園跡地を見て「ボビー・ジョーンズ」は叫んだそうです。

「この土地は、誰かがやって来てゴルフ場にしてくれるのを、ずっと待っているかのようだった。」「完璧だ。」と。

365エーカーにも及ぶ広大な土地を、7万ドル(当時の価格で680万円)で買い取り、「サイプレス・ポイント」を設計したあの英国ゴルフコース設計家「アリスター・マッケンジー博士」との共同設計でコース造成に着手しました。
 

造成中のオーガスタ・ナショナルGC
<造成中のオーガスタ・ナショナル ゴルフクラブで視察プレーをするボビー
(現在の8番ティ)。ボビーの右にいるのがマッケンジー博士>

この1931年当時は、ジョーンズが29歳。マッケンジーは61歳でした。

二人は、この農園跡地の自然を出来るだけ残しながら、「最大多数の最大享楽」(腕前の程度を問わずたくさんのゴルファーに楽しんでいただく)を目的とし、かつ挑むべき困難をも持ったゴルフコースにしようと考えたそうです。

 造成中のナショナル・オーガス タゴルフクラブ
<造成中のアーメンコーナー


1931年の後半に、工事が始まり、1932年12月には一部が完成しました。
そして、1933年1月に「正式オープン」をしました。
 

初期メンバー

<オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブの初期メンバーたち。
下段中央がボビー>


1934年3月22日から25日に、「第1回年次招待トーナメント」(後のマスターズ)が開催されました。


トーナメント
<第1回年次招待トーナメントの第1打を放つボビー>


しかし、残念な事に、トーナメント開催が行われる2か月前に、「アリスター・マッケンジー博士」は、亡くなってしまったのです。

 
「マスターズ」の名称の由来

「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」と命名を提案したのは、「ボビー・ジョーンズ」でした。

「ボビー・ジョーンズ」は、かねがね「かつて一緒にプレーした名手たち(マスターたち)を一堂に集めよう」と口にしていました。
友人の「リフォード・ロバーツ」は、「それならその名称は“マスターズ”であるべきだ」と、早くから主張していたのですが、「ボビー・ジョーンズ」は、「あまりに誇示した名前じゃないか」と言って、強く反対していたのです。
いかにも謙虚な「ボビー・ジョーンズ」らしい逸話です。

新聞・雑誌各社からも「世界の名手たちが集まるのなら、名人たち“マスターズ”という名ががふさわしいのでは・・・」と言われていました。

プログラム

<マスターズは第1回当初、
「年次招待トーナメント」という名称で開催された>


そんなわけで、表向きは「年次招待トーナメント」ではあったものの、通称として最初から「マスターズ」と呼ばれていました。
現在の正式名称の「The Masters Tournament」と呼ばれるようになったのは、1939年の6回目の大会からです。

≪全米オープンにも匹敵する人気トーナメントへ!≫

ウォルター・へーゲン」「ホートン・スミス」「ジーン・サラゼン」「クレイグ・ウッド」などなど、世界のゴルフ界をリードする「きら星」のごときゴルファーたちが、「第1回年次招待トーナメント」が行われるオーガスタにやって来ました。
もちろん彼らは「ボビー・ジョーンズ」と再びプレーするのを楽しみにしていたのです。

マスターズ練習ラウンド

<マスターズ練習ラウンド。ボビーのティショットを、トミー・アーマー
ウォルター・へーゲン、ジーン・サラゼンの3名手が見守る>


第1回当時は「年次招待トーナメント」という名で行われる、「エキシビション・ゲーム」に近いものであり、それほど大きな規模のものではなかったようです。

8番グリーン
<8番グリーンでパッティングするボビー>

14番グリーン
<14番グリーン(現13番)で同伴競技者のパッティングを見守るボビー>


トーナメントが開催された3月の下旬は、南でキャンプを張っている「メジャー・リーグ」の取材を終えたスポーツ記者たちが、このトーナメントにちょうど立ち寄って観戦できる時期に当たっていたのです。
テレビのない時代にあっては、彼らが伝える「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」の美しいたたずまいは、そこで行われる「ボビー・ジョーンズ」主催の招待競技とともに読者の興味を大いにそそったのでした。
「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」の名は、たちまち世界のゴルファーの間に宣伝される事となったのです。
 
でも「ボビー・ジョーンズ」は期待ほどの活躍はできませんでした。しかし、このトーナメントの報道を通じて彼の消息を聞くだけでも、世のゴルフ・ファンは満足だったと言う事です。
それほど「ボビー・ジョーンズ」の名前は、ゴルファーの間で関心の的であり続けていたのです。

ボビー・ジョーンズ
<ハリー・クーパーとラウンドするボビー>


第1回のトーナメントが成功に終って、色めき立ったのは出場した選手たちでした。
エキシビション・ゲームに近い試合かと思って出てみると、何と全米オープンにも匹敵する人気だったのです。改めて「ボビー・ジョーンズ」の磁力を知るとともに、翌年以降、全選手がこの試合に集中して臨む決意を固めたものだった、と言われています。

このようにして「招待トーナメント」はメジャートーナメント、「マスターズ」へと育って行ったのです。


マスターズが集結、第2回大会

「第1回年次招待トーナメント」通称「マスターズ」は成功裡に終りました。
成功に導いた第一番の要素は、不世出のゴルファー「ボビー・ジョーンズ」の主催する催しであった事です。
しかし、「年次招待トーナメント」が「マスターズ(名手たち)」の名に恥じない催しになるのは、その翌年からの事でした・・・・・
 
翌1935年、第2回トーナメントが開催されました。

ボビー・ジョーンズ
<第2回大会をラウンドするボビー(左)。
競技者ではなく、主催者として試合に参戦していた>


第2回大会
<第2回大会の出場選手の顔ぶれ。
バイロン・ネルソン、トミー・アーマーなど一流の選手が勢ぞろいしている>


「マスターズ」を」世界的にさらに有名にしたのは、「ジーン・サラゼン」の15番ホールでの「ダブル・イーグル」でした。

485ヤードの15番ホール(パー5)で、235ヤードのセカンドショットを入れて「ダブル・イーグル」とし、残る3ホールで、誰もが優勝を疑わなかった「クレッグ・ウッド」に並んでしまったのです。
プレーオフは翌日36ホールのストローク・プレーで行われる事になり、「年次招待トーナメント」も第2回にして、劇的な展開になりました。
結果、「ジーン・サラゼン」が勝利を手にしたのです。

この「ジーン・サラゼン」の「ダブル・イーグル」と、第1回トーナメントに「エキシビション・ゲーム」気分で参加したマスターたちも、参加してみると賞金額も他の試合に比べて高い事に気付き、このトーナメントに注ぐ意欲も並々ならないものになってきていたのです。

もはや世間の誰も「年次招待トーナメント」とは呼ばず、「マスターズ」と呼ぶようになりました。 

こうして盛り上がりを見せてきた「マスターズ」に、テキサス出身の新人「バイロン・ネルソン」がさらに不動の名声をもたらしてくれました。
それは、1937年「バイロン・ネルソン」が優勝し、そのプレーの優雅さによって、彼は「バイロン卿」と呼ばれるようになった事でした。まさに「バイロン卿」は、「マスターズ(名手たち)」そのものだったのです。 

やがてここに、やはりテキサスで「バイロン・ネルソン」とキャディ時代から競争相手として切磋琢磨していた「ベン・ホーガン」が登場してきます。

温和で紳士的な「バイロン・ネルソン」と、めったに口も利かず黙々とプレーする「ベン・ホーガン」が、優勝争いを繰り広げる事になるのです。

これが、「ボビー・ジョーンズ」の「マスターズ」をメジャーにする大きな契機だったのです・・・・・・・・・

そして今年、「2010年マスターズ」が開催され、「フィル・ミケルソン」が、4年ぶり3度目の優勝をされました。

ボビー愛用のドライバー


およそ1930年前後の「オーガスタ・ナショナル ゴルフクラブ」へのお散歩、ご苦労様でした。お疲れ様でした。

「あれもこれもご案内して差し上げましょう」と思っていましたら、随分寄り道してしまい、思ったより長―いお散歩になってしまいました。申し訳ございません。

また、「もっともっと早くお散歩にご招待しなければ・・・・」と思っていましたが、想像以上に色々と手間取り、遅くなってしまいました。重ね重ね申し訳ありません。

このブログ作成の作業は、けっして楽(ラク)ではないのですが、どうしてどうしてBetter Halfにとっては結構楽しいのです。これはホントに不思議です。

これからまだまだ「Better Half'sマスターズ特集」は続きます。もしよろしければ、またお越し下さいませ。

(「ボビー・ジョンズ」のお写真がまだ少しあります。どうぞご覧下さい。
また「エバゴルフ工房」には、「生誕100年記念 ボビー・ジョーンズ物語 クヮドリラテラルを描いた男」が掲載されている「Golf Classic 2002年4月号〜2005年2月号の35冊」があります。当工房のお近くの方で、ご覧になりたい方はお申し出下さい。)


<Bobby Jones Photo Gallery>


13ヶ月のボビー・ジョーンズ
<生後13ヶ月。虚弱な幼児で5歳まで生きられないと言われていた>


6歳のボビー・ジョーンズ
<6歳。この年、初めて優勝カップを手にした>


14歳のボビー・ジョーンズ
<14歳。初めての全米アマチュア選手権にて>


ボビー・ジョーンズ・新聞
<ボビーの活躍を伝える地元紙。若きボビーに大きな期待が集まった>


ボビー・ジョーンズ


ボビー・ジョーンズ

ボビー・ジョーンズ


ボビー・ジョーンズ

ボビー・ジョーンズ
<1936年、セント・アンドリュースにて。
ボビーのプレーを見ようと群衆が駆けつけた>


ボビー・ジョーンズ

ボビー・ジョーンズ

 ボビー・ジョーンズ
<セント・アンドリュース市長から名誉市民の称号を受けるボビー>


ボビー・ジョーンズ

<晩年は脊椎空洞症という病に冒され車椅子生活を余儀なくされた。
ベン・ホーガンと話すボビー>


ボビー・ジョーンズ
<ボビー(下段左)は、天才ゴルファー、ジャック・ニクラウス
(上段左から2人目)や、ゲーリー・プレーヤー(上段左)、
アーノルド・パーマー(上段右から2人目)達と一緒に撮影>


≪「Better Half'sマスターズ特集」No.2 ≫につづく


尚、画像は、
Golf Classic(日本文化出版)の2002年4月号〜2005年2月号
生誕100年記念 ボビー・ジョーンズ物語 
クヮドリラテラルを描いた男 第1回〜第35回」
よりお借りしました。ありがとうございました。
 
また、記事は、
「Golf Classic 生誕100年記念 ボビー・ジョーンズ物語 
クヮドリラテラルを描いた男」 
の著者の“江口 汎”氏の掲載記事と、
 
ゴルフのこぼれ話。トーナメントの裏話。 http://blogs.yahoo.co.jp/mitsuoh2002/folder/1359539.html?m=l

三田村昌鳳のゴルフウェブライブラリー
http://www.151a.com/

豆辞典ドットコム
http://www.mamejiten.com/index.htm
を、参考にさせていただきました。ありがとうございました。
 

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