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Better Half's Diary(エバゴルフ・ブログ)

エバゴルフ工房のHPをご覧になって頂きありがとうございます。素敵な言葉・おもしろい言葉・感動した言葉などを書き留めたものが少しあります。出来るだけ暖かい温度を持っている言葉達を選び、足したり、引いたり、掛けたり、割ったりしながら、書き綴ってみたいと思います。ゴルフ・エコ・お花・お笑い・お料理・わが街の事やその時々の思いなど七つのカテゴリーを設けさせて頂きました。よろしくお願いします。              オーナーの妻(管理人)
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小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」プロ登録&な写


関東プロ招致競技の集合写真


「私の生きた刻(とき)」


プロゴルファー 小針春芳さん(88)  プロ登録


いきなりコースレコード


 第2回関東プロ招待競技が昭和15(1940)年8月に那須GCで開催されました。前年は林万福(はやしまんぷく)プロのキャディーでしたが、ゴルフ場の推薦で研修生ながら選手としての出場のチャンスを得ました。当時、プロは関東で約60人、日本全体でも100人ぐらいだったでしょう。そのうち20人ほどが集まって1日に36ホールストロークプレーで競う内容でした。

 浅見録蔵(あさみろくぞう)さん、安田幸吉(やすだこうきち)さん、中村寅吉(なかむらとらきち)さんなどそうそうたる顔ぶれでした。現在と違って通常新人プロはハンディ5をもらうのが一般的でしたが、この大会はスクラッチ競技。ましては研修生の身。自分のクラブもなくて日本製の貸しクラブでの挑戦だけに、出場させてもらうだけで感謝でした。上位進出など、夢のまた夢の話でした。
 ところが、午前の18ホールは何と3アンダーの69。コースレコードです。パットをはじめ何をやってもうまくいきました。午後の18ホールは4オーバーの76。浅見さんと145でトップに並びました。9ホールのプレーオフで決着がつかず、さらに9ホール。最後は浅見さんに2打負けました。でも、54ホールプレーして日本オープンチャンピオン(1931年)の浅見さんと2打しか違わなかったのは、かなりの自信になりました。1日3ラウンドしたわけですから、体力がありましたね。
 プロトーナメントで研修生がトップに立ったのですから、今振り返ってもよく戦ったと思います。浅見さんはよく飛びました。今なら300ヤードオーバードライブです。木製ヘッドのパーシモンクラブで280ヤードは飛んでいました。9番ホールは440ヤードと距離のあるパー4でしたが、浅見さんの第2打は5番アイアン。飛距離の出ない私はスプーン(3番ウッド)でした。
 今のプロは飛びますから、那須GCで公式戦を開催したら65くらいは出るでしょう。70年たっていますが69のコースレコードは破られていません。
 優勝賞金は100円、2位は50円でした。私はコースレコード賞の50円と合わせて100円頂きました。当時、プロゴルファーの月給が30円から35円と記憶していますから、かなりの金額。実家に持っていったと思いますが、親父(おやじ)が喜んだのか覚えていません。昔は親父と学校の先生は怖いもの。地震、雷、火事、親父です。きっと「よくやった」などとは言ってくれなかったでしょう。
 当時はプロテストがなく、ゴルフ場が「うちのコースのプロです」と認めて協会に申し込めばプロになれた時代でした。私の場合、この大会の成績が認められ晴れて10月にプロになりました。栃木県第1号です。

 ゴルフのことでしたら50年前のことでも覚えているのですが、金のことは無頓着で、思い出せません。プロになりたての給料は戦前ですから25円前後だったでしょうか。田舎のコースですから平均より安かったと思います。
 戦争を挟んで10年ぶりに那須GCに戻った昭和28年(1953)年は私がプロとしてやっていけるか自信がなく、テスト採用という形でお願いし、給料は定額ではありませんでした。翌年プロ採用となり月額2万5000円。33歳でした。昭和30年に関東プロで初勝利を挙げて3万円にアップしたのは覚えています。その後、3万円が長く続きました。昭和29年の教員の初任給が約8千円といいますから待遇は恵まれていたと感謝しています。   
(構成 井上孝男様)



軍隊時代 


「私の生きた刻(とき)」

プロゴルファー 小針春芳さん(88)   な写


病、自決・・・死線さまよう


 昭和15(1940)年にプロになり、初めての試合が翌年の鷹之台CC(千葉市)で開催された関東プロ。真夏の暑い試合で、予選落ち。この年、旧程ケ谷CC(横浜市)で開催された日本オープンにも出場したのですが、初日1アンダーでトップに立ったものの最終的には12位前後。しかし、12月には真珠湾攻撃で開戦。戦前のプロとしての試合はわずかこの2試合だけでした。

 この年にはゴルフ入場税の大幅アップ、9月にはゴルフ自粛通達が出ました。日本オープンもこれを最後に 8年間中止。職業とはいえ、ゴルフをやっていますと言える環境ではありませんでした。ゴルフクラブを風呂敷で隠して汽車に乗りました。
 もちろん兵隊にも行きました。初めは昭和17年(1942)3月に中国山西省臨粉(りんぷん)で、師団通信隊無線隊員でした。ここから徳県に移り、翌年ニューギニアに渡りました。中国は気候もよく、食べ物もありましたが、ニューギニアは何もなく、つらい思い出として残っています。1年ぐらい食べ物はありましたが、サイパンの玉砕後は補給が途絶えました。食料も武器もない状況でした。
 現地の人は移動しながらの焼き畑農業で、食べ物のないわれわれは現地人が移動した後の残りの芋で命をつなぎました。隣で作業していた日本兵が現地の人にやりで腹を刺されたこともありました。治療したくても薬がない。気の毒に亡くなりました。
 アメリカの戦闘機グラマンの攻撃から、ジャングルの中を逃げ回る毎日でした。草原でグラマン3機に狙われたことがありました。将校は馬で近くの森に逃げましたが、私は隠れる所もなく、もうあの時は駄目だとあきらめました。グラマンはすぐ真上。全く動けませんでした。機銃掃射で弾丸が「ズダダダダッ」と等間隔で大地に穴を開けていく。でも、動けなかったことが幸いしてか私は奇跡的に助かったのです。

 ニューギニアの戦いでは9割の日本兵が亡くなりました。でも戦闘での死亡は2割ぐらいで、あとは病死でした。病気で生きるのが嫌になってしまう。兵隊は自決用に手りゅう弾を1個持っているので、仲間がそれを握りしめて自決したこともありました。400人の部隊で生き残ったのは13人。よく助かったものです。自決した仲間のことは今でも時々、思い出すことがあります。
 終戦後もマラリアで多くの仲間が亡くなりました。私もかかりました。日本兵はほとんどが栄養失調状態ですから、助かる確率は低くなります。げっそりとやせて、その後、水ぶくれのように体が膨らんでいく。かっけが出たらほぼ助かりませんでした。海岸で毎日、仲間の墓堀り。でもサンゴ礁で硬くてなかなか掘れない。こんな話をしても今の人たちには信じてもらえないでしょう。
 私は使用ボールの番号は「5」に決めています。二度と死「4(死)」線をさまよいたくない。だから死線を越える「5」にこだわっています。
 戦争を挟んで10年間クラブを握っていません。20代のほとんどです。その10年間がなければとなぐさめてくれる人もいますが、そういう時代に生まれたのだから仕方ありません。子供のころから耐えることには慣れています。でも、ゴルフと一緒で、いつかチャンスが来ると信じて生きてきました。(構成 井上孝男様)

【上記の文章及び画像は、栃木のニューヨーク・タイムズである「下野新聞(しもつけしんぶん)」様(これは“栃木が生んだスーパースター”のU字工事さんが言われています) よりお借りしました。ありがとうございました。】

ゴルフボール

私のパートナーは在宅の自営業(エバゴルフ工房)です。
昼食や夕食の時間というものは、お客様のご都合が最優先ですので、いつも定時にというわけにはいきません。しかし、「温かいお料理は温かいうちに、冷たいお料理は冷たいまま食べていただきたい」というのは、食材を吟味し、時間をかけて下ごしらえをし完成に至る、シュフという名のシェフのささやかな願いです。かつ、命を捧げてくれた食材達への礼儀なのではないかと思っています。
そんなふうにして一日3回、パートナーもMy Daughterも、そしてもちろん自分も、できるだけこまめにもてなしてさしあげたいものです。

そんなことも一因なのでしょうか、いつの間にか私は、お家にいるのが大好きで、お宅派・インドア派になってしまいました。今では、ちょっとした食料品のお買い物や銀行・図書館等への外出も、私にとっては立派な「小さな旅」になってしまいました。

しかし今回、以前からのお約束で、パートナーと一緒に車で高速に乗って、ちょっと遠くに本物の「小さな旅」(私にすれば「大きな旅」)をしてきました。2泊3日でしたが、色々準備に時間を費やしてしまい(持参する食材の購入や、調理等)、結局5日間程ブログ更新にタッチできませんでした・・・・・

そんなこんなで今回申し訳ありませんが、【プロ登録とな写髻曚魄貊錣砲翰になっていただいた次第です。宜しくお願いします。

ゴルフボール

小針先生は、第2回関東プロ招待競技において、36ホールストロークプレーで競うところ、まだ研修生なのに、なんと日本製の貸しクラブで、午前の18ホールは3アンダーの69コースレコードを出され、結果、54ホールプレーなさって日本オープンチャンピオン(1931年)の浅見さんと2打しか違わなかったとは!すごい!!すばらしい!!!!!

また当時はプロテストがなく、ゴルフ場が「うちのコースのプロです」と認めて協会に申し込めばプロになれたとは、驚きです!しかも小針先生が栃木県第1号のプロゴルファーであられたとは!!すごい!!! すばらしい!!!!!

そして私には想像もできないつらい戦争が・・・・・・

私の知らない世界が次々と展開され、またまた次回がとても楽しみです。

[な写]に「子供のころから耐えることには慣れています」と書かれてありましたが、そういえば私の母も、「昔の人は我慢強いんだよ」と事あるごとに言っています・・・・・・・

ゴルフボール

突然ですが、シュフは「楽で退屈そう」なんて皆さん思っていらっしゃいませんか?とんでもありません!

シュフはもちろん「家事や炊事をする人」ですが、他に、「ハウスキーパー」であり、「コーディネーター」であり、「プロデューサー」であり、「カウンセラー」であり、「ガーデンプランナー」であり、「ウエイトレス」であり・・・・・・・・・・「奉仕者」であり、「独裁者?」であり、「管理者」であり、「(私の場合限定:好きで結婚したのだから)パートナーをていねいにおしりにしいてあげる人」(笑笑笑笑笑笑)であり・・・・・・・と、一人何役もこなさなければならない重労働者なのですよ!
その上私には、(数字アレルギーなのに)帳簿の管理、エバゴルフ工房のHpの管理、ブログの更新(これは楽しい)というおまけの仕事もついています。あーーーーーーーー。

小針先生が想像を絶するご苦労をなされた事は、文面から十分お察しできます。本当に大変でしたね。
しかしある一面、私は小針先がとてもうらやましいのです。
小針先生は競技会というステージに立つことができて、良い結果を出せば当然それ相応の賞品や賞金をいただけ、ゴルフの試合を観戦に来たギャラリーさんから声援や拍手をいただき、いろいろな方からお褒めの言葉もいただけたはずです。歴史にも残り、世界中の人にも知ってもらえている筈です。

しかしシュフというものは悲しいかな、二十四時間、かいがいしく、なりふり構って(?)テキパキ動いても、ほとんど無評価で基本的には無報酬です。声援も拍手もお褒めの言葉も賞品も賞金もありません。

「自分がほめなくて、いったい誰がほめてくれるでしょう!」

そこでこの度、私ことBetter Halfは、生活のステージでいきいきと輝くステキなシュフになれますよう「Better Half新興宗教」を立ち上げました!
教祖はもちろん私Better Halfです!
入会金・会費は一切いただきません。また、いつ脱退されてもかまいません。
入会されましたら簡単な事をしていただきます。それは毎朝晩、鏡の中の自分を見て次のような「幸運を呼ぶ魔法の言葉」を唱えていただきます。

あなたはきれい! 
あなたは若い!
あなたは本当によく頑張っている!
あなたはえらい!
あなたはとても幸せ!
                                  とね。笑笑笑笑笑笑・・・・

「ほめられたがり」の私ですが、誰もほめてくれませんので、鏡に映った「私」を自分で上手にほめるのです。

鏡に映った「あなた」は、つまり「私」ですね。「私はきれい」というのには抵抗を覚えますが「あなたはきれい」ならさらりと言えますでしょう。

どうぞみなさま、「Better Half新興宗教」にご賛同なさる方はいつでもご勝手に入会し、お好きな時にご勝手に脱退して下さいませ。笑笑笑笑笑・・・・

だいぶ本題から脱線してしまいました。ごめんなさい。

ゴルフボール

小針先生は、今年プロ人生70年を迎えられるそうです。

春夏秋冬あらゆるトーナメントを自室の堀りごたつで、細大漏らさずウオッチングし、鋭く分析し、そして鮮明な記憶にファイルしているそうです。
冬になるとトーナメント中継が見れなくなります。その間は、テレビ栃木で毎日放映しているレッスン番組等で無聊(ぶりょう)を癒されているという事です。

しかし、毎日庭でシヨートアプローチは欠かさないとか。
「アプローチさえちゃんとしていれば、ドライバーなんて、いつでも打てるからね」と。

ここ数年気管支や手やひざの不調になやまされているらしいです。
どうか出来るだけ早く回復して、ぜひエージシュートの記録を作っていただきたいものですね。
(ゴルフダイジェスト 2010年新年超大号 昭和の青春、平成の青春 なかはらまこと様著参照)
 

小針プロ

【上の画像は、ゴルフダイジェスト社刊 隔月刊雑誌 『チョイス』様の
 No.165 2008年7月号 <小春日和。>
よりお借りしました。ありがとうございました。】


ゴルフボール


<ご参考になさって下さい >

那須ゴルフ倶楽部
http://nasugolf.jp/#/index/top

日本オープンゴルフ選手権競技
日本ゴルフ界の足跡を刻む栄光の歴史
http://www.jga.or.jp/jga/html/2006/08-0/history/champions.html

鷹之台カンツリー倶楽部
http://www.takanodaicc.or.jp/

程ヶ谷カントリー倶楽部
http://reserve.e-golf.co.jp/user/guide_detailInit.do?gcd=kn126

FORTH(FOR Traveler's Health)
厚生労働省検疫所 海外感染症情報 マラリア
http://www.forth.go.jp/tourist/kansen/07_mala.html

とちぎテレビ
http://www.tochigi-tv.jp/

下野新聞「SOON」:栃木の最新ニュース・スポーツ・生活情報 http://www.shimotsuke.co.jp/

ゴルフダイジェスト 雑誌・出版情報
http://www.golfdigest.co.jp/digest/

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