blog index

Better Half's Diary(エバゴルフ・ブログ)

エバゴルフ工房のHPをご覧になって頂きありがとうございます。素敵な言葉・おもしろい言葉・感動した言葉などを書き留めたものが少しあります。出来るだけ暖かい温度を持っている言葉達を選び、足したり、引いたり、掛けたり、割ったりしながら、書き綴ってみたいと思います。ゴルフ・エコ・お花・お笑い・お料理・わが街の事やその時々の思いなど七つのカテゴリーを設けさせて頂きました。よろしくお願いします。              オーナーの妻(管理人)
<< シフォンケーキと3つのエコ | main | わが街紹介 「有限会社 勝文堂」さん >>
小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」⊇⊃

小針先生


「私の生きた刻(とき)」

                               

「プロゴルファー 小針春芳さん(88)  ◆―⊃


近さが縁 キャディーに


 那須郡高林村(現那須塩原市)の貧乏農家の長男として大正10(1921)年4月に生まれました。当時、40戸ほどの集落で、みな貧しかった時代です。米の飯が食べられるのは盆と正月ぐらい。あとはひえか粟。ひえは温かいうちは食べられますが、冷えるとポロポロになって食べられるしろものではありません。
 学校にはわら草履をはいて通い、遊ぶときは裸足。当時、全校で50人ぐらい生徒がいましたが、ズック靴を履いていたのは校長先生の子供など3人ぐらいでした。革靴なんて一生履けないと思っていました。

16歳の春に近くに建設中だった那須ゴルフクラブがキャディーを募集。ゴルフとはどういうものか知りませんでしたが、近い就職先という理由で1期生として就職しました。その一方で、キャディーは一生の仕事ではないと、勉強して当時、花形だった国鉄の試験に挑戦しました。白河での筆記試験は合格したのですが、宇都宮での口答試験前の検査で色弱なのが分かり駄目でした。
 当時、グリーン上でのボールマーカーは赤の毛糸をちぎったものですが、緑の中の赤だから分かりやすいはずですが、私は色弱なのでどうも見づらい。だから、私は黄色の毛糸にしました。今考えると、色弱でなかったら合格して、鉄道員になっていたかもしれません。
 那須GCには栃木のお客さんはいませんでした。ほとんどが財界関係の人が多かったようです。三井、三菱財閥の人たち。キャプテンは石井光雄(いしいみつお)日本勧業銀行総裁。名誉会員で総理大臣の近衛文麿(このえふみまろ)さんも見掛けました。背の高い人でした。
 給料は月16円。これが最低保証でうまく稼げば20円になりました。ゴルフボールは舶来のものが1個1円50銭ですから、給料で10個しか買えません。ロストボールを見つけると宝物を発見したようでした。当時、舶来品と国産のボールの品質の差は歴然としていました。主流はトップフライトでほかにはノースブリテッシュなどがありました。国産のボールは音が悪かったです。

キャディー兼研修生扱いとなっても昼間からボールを打つことは許されませんでした。日中にパットの練習をして首になった仲間もいました。初めは木の根っこを削ってクラブの形にして覚えたものです。毎日毎日、素振りを繰り返し、空気を切るシャフトの音で良い振り方が分かるようになりました。
 ラウンドを許されたのは就職して2年ぐらいたってから。もちろんクラブなんて持っていませんので、ゴルフ場の貸しクラブです。スコアはハーフ42前後だったと思います。結構、うまかったと思います。 
 さらにコースがクローズとなる冬の期間だけ霞ヶ関CC(埼玉)への研修が許されました。霞ヶ関には、のちに多くのコースを設計した藤田欣哉(ふじたきんや)さん、日本アマ3連覇の三好徳行(みよしとっこう)さんなどすごい顔ぶれのプレーヤーがいました。藤田さんのパターの打ち方、三好さんのアイアンの打ち方を参考にしました。
 昭和14(1939)年に関東プロ招待競技会が那須GCで開催されました。この時は林万福(はやしまんぷく)プロのキャディーでした。しかし、翌年のこの大会で人生を大きく変える活躍ができたのです。(構成 井上孝男さん)

【上記の文章及び画像は、栃木のニューヨーク・タイムズである下野新聞さん(これは“栃木が生んだスーパースター”のU字工事さんが言われています) よりお借りしました。ありがとうございました。】

Choice2008年9月号連載

不思議です。

百年前、私はここにいませんでした。百年前の私は、いったいどこにいたのでしょう?

私の歴史は、生まれました、結婚しました、子どもを一人産みました。
と、一行で済んでしまいます。

もし、小針先生の歴史をワードでまとめるとすると、あまりに内容が濃くて、おそらくたくさんのページを要する事でしょう。

私のスポーツのビクトリー記念日は、かつて、弓道の郡大会で個人優勝をした日でした。それももう優勝した本人ですら、きれいすっかりみごとに忘れ去っていました。

それにひきかえ、小針先生のゴルフのビクトリー記念日は、 2度の日本オープン優勝などツアーを7勝なさった日々、シニアツアーを7勝なさった日々、などなど・・・たくさんおありのことと思います。そしておそらく全国には、小針先生の事はもちろん、ビクトリー記念日をご存知の方もたくさんいらっしゃるでしょう。

そんな素晴らしい小針先生とは、生まれた時も、所も、環境も、歴史も何もかも違うのに、エバゴルフ工房という場所で何度かお会いする事ができました。

不思議ですね・・・・・・・

いつも当工房に来店して下さるお客様、ありがとうございます。

また、エバゴルフ工房のHPを開設してから、「HPを見ました・・・」と、お電話をかけて下さる方々、メールを下さる方々、当工房にいらして下さる方々に出会えるようになりました。本当にありがとうございます

また今現在、このBetter Half's Diary(エバゴルフ・ブログ)をご覧になって下さっている方、ありがとうございます。

きっとそれは、「たくさんの偶然とたくさんの奇跡の連鎖」がもたらしてくれた「ラッキー&ハッピー」なのでしょう。

とてもとてもうれしい事です。そしてとてもとても不思議です・・・・・

(しかし、今朝、起床してすぐ、「偶然」にも右腰上部に鈍痛を感じました。こんな「偶然」は絶対ごめんです。笑笑笑笑・・・・
考えて見ますと最近は、あちこちに「痛い偶然」が・・・製造年月日はもう古いし、仕方ないのかもしれませんが、まるで毎日が「障害物競走?」のようです。笑笑笑笑・・・・
「青春のかおり」という芳香剤を薄めて、のばして、必死でもたせているつもりですが、今の私というものは、たかが「青春のかおりの残り香」に過ぎないのでしょうか?笑笑笑笑・・・・・)

今、Better Half's Diaryというフィールドで言葉の運転の勉強をしています。まだまだ未熟者で、へたな運転しかできません。バッテリーも時々あがります。でもこの運転はなぜか楽しくてしかたありません。不思議なことに・・・・・・・

百年後、私はここにいません。百年先の私はいったいどこにいるんでしょう?
その時私は、約四十六億歳になる地球というホームスティ先で出会った、なつかしい人々を思い出しながら、ブログでも書いているのでしょうか?それとも・・・・・・・

ほんのちょっと遊びに来たつもりなのに、思いのほか長居をしているこの地球という所には、なんとたくさんの不思議な事があふれているんでしょう!

Choice2008年11月号掲載

【上の画像は、ゴルフダイジェスト社刊の隔月刊雑誌『チョイス』 
No.167 2008年11月号 <小春日和。>
よりお借りしました。ありがとうございました。】



<ご参考になさって下さい>

名手・達人の言葉|2008.8.6
http://www.golf-book.net/tatsu/t080806.html

【昭和偉人交友録】友末洋治茨城県知事 横殴りの大雪でもプレー ... http://www.zakzak.co.jp/sports/spo-column/photos/20100204/spc1002041629002-p2.htm

| Better Half | ゴルフ | 17:50 | comments(0) | - | pookmark |
コメント
コメントする


1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< March 2020 >>

bolg index このページの先頭へ