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Better Half's Diary(エバゴルフ・ブログ)

エバゴルフ工房のHPをご覧になって頂きありがとうございます。素敵な言葉・おもしろい言葉・感動した言葉などを書き留めたものが少しあります。出来るだけ暖かい温度を持っている言葉達を選び、足したり、引いたり、掛けたり、割ったりしながら、書き綴ってみたいと思います。ゴルフ・エコ・お花・お笑い・お料理・わが街の事やその時々の思いなど七つのカテゴリーを設けさせて頂きました。よろしくお願いします。              オーナーの妻(管理人)
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小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」―虱ゾ

カップ


土曜日の「栃木のニューヨーク・タイムズ(下野新聞)」には「私の生きた刻(とき)」というコーナーがあります。
2月6日はプロゴルファーの小針春芳さんについて書かれてありました。

小針先生は拙宅から車で5分位の所に住んでいらっしゃいます。
私が外出のため車を運転していますと、どちらかにお出かけになるのでしょうか?背中をピンと伸ばし(最もご本人は無意識なのでしょうが)、自転車をこいでいらっしゃる小針先生のお姿を、時々拝見いたします。
御歳88歳になられるとか・・・とても若々しくお元気そうでうらやましい限りです。

ある時、私はとてもビックリしました。
その日、当工房にいらして下さった、あるプロにお茶を差し上げる為、ドアを開けた所、それまで椅子にお座りになっていたプロが、「気をつけ!!」の姿勢を保ち、直立不動で立たれているではありませんか?それもいままで一度も拝見した事がないような緊張したお顔で・・・・
ん?と思い、視線を移動しますと、なんと小針先生が椅子にお座りになっていらっしゃいました!(プロ来店の後、小針先生がいらっしゃったようです。 )
小針先生もプロも当工房に時々いらっしゃいます。たまたまその時一緒になってしまったのです。その時の直立不動のプロの様子は、「エバゴルフ工房」の歴史の中でも、絶対忘れられないシーンです。

小針先生がとても素晴らしい先生であるという事は、ずっと以前から私のパートナーから伺っておりました。でもその事件?以来、私の想像以上に素晴らしい先生である事を再認識し、さらにさらに尊敬度がアップし、上書き保存させていただきました。

その小針先生が、「栃木のニューヨーク・タイムズ(下野新聞)」の「私の生きた刻(とき)」に掲載されるているではありませんか!
全国のみなさんにもぜひご覧になっていただきたく、あえてコピーさせていただきました。下野新聞様、構成の井上孝男様ありがとうございました。

小針春芳プロ
上の画像は
Choice ゴルフダイジェスト チョイス No.164 2008年5月号 
<小春日和。>よりお借りしました。
ありがとうございました。


「私の生きた刻(とき)」 

 ―虱ゾ

とても暑い日でした。我孫子GC(千葉県)の15番パー3、高麗グリーン。中村寅吉さんが、1メートルを外しボギー、私が約60センチのパーパットを沈め、初優勝を決めました。マッチプレーの33ホール目でした。
 昭和30(1955)年6月の関東プロゴルフ選手権大会。34歳の時でした。兵役などで約10年間クラブを握っていませんでした。これからも農業に従事しようか、プロとしてやっていこうか悩んだ末に、ゴルフを選らんだのが2年前。この勝利でようやくプロとして食っていけると思ったことを思い出します。
 現在のプロトーナメント四大大会は日本オープン、日本プロなどですが、当時はスポンサートーナメントは無いに等しい時代で、日本オープン、日本プロ、関東オープン、関東プロがメジャー競技でした。

 1年前の関東オープンで栗原甲子男(くりはらかしお)さんとのプレーオフで敗れて2位。今回も優勝は厳しいと思っていただけに、最も印象深い優勝です。当時、「結婚した時よりうれしい」とコメントしたようです。
 当時の関東プロ、関西プロ、日本プロは予選でベスト16に絞り込んでのマッチプレー方式でした。準決勝、決勝は36ホールです。
 下馬評は中村さん絶対優勢でした。私を20ヤード近く置いていく豪快なフック回転のドライバー、フェードの切れの良いアイアンとまともにやって勝てる相手ではありませんでした。
 試合は8ホールを終って私の3ダウン。これは記録的大敗を喫してしまうのではと、ぞっとしました。それでも何とか「寄せワン」でピンチをしのぎ、16番から3ホール奪って前半18ホールをオールスクエアに戻しました。ショートパットが入らない中村さんはカリカリきたのでしょうね。

 後半の1番パー4。バーディチャンスにつけた中村さんに対して私はバンカー。グリーンに乗ったものの10メートルを残しました。でも、これを沈めてナイスパー。中村さんは逆に入らずパー。このホールが勝負の分かれ目となったようです。
 中村さんは3番パー3でOBをたたき、11番では60センチのパーパットを外すなど流れは一気に私に。14番パー4で返されましたが私の3アップ。そして試合を決め15番を迎えたわけです。4アンド3(3ホール残して4アップ)の勝利です。
 後半の9番パー4では私が長いバーディパットを沈めたら、中村さんはグリーンエッジからチップインバーディーとギャラリーを沸かせたのを記憶しています。
 2位となった昭和29(1945)年の関東オープンも我孫子GCでの開催。プロ月例競技でも連続ボギーでスタートしたにもかかわらず、67のコースレコードを出したこともあるし、我孫子GCは私にとって相性がいいコースでした。

カップ


<小針春芳(こばり はるよし)プロのプロフィール >
1921(大正10)年4月29日、那須郡高林村(現那須塩原市)生まれ。
高等小学校を卒業して36年に那須GCに就職。
40年にプロ登録。那須GCから一度も動かず、「那須の神様」「那須の小天狗」と呼ばれた。
クリーク(5番ウッド)の名手。 2度の日本オープン優勝などツアー7勝、シニアツアー7勝。
那須塩原市在住。88歳。


<中村寅吉プロのプロフィール>
1951(大正4)年横浜生まれのプロゴルファー。戦後の日本プロゴルフ界を支えた人物。
57年に日本で開催されたカナダカップで小野光一プロとともに出場し団体、個人優勝。
レギュラーツアー25勝、シニアツアー12勝。
2008年、92歳で死去。                

小針春芳プロ
上の画像は
Choice ゴルフダイジェスト チョイス No.154 2006年9月号 
<小春日和。>よりお借りしました。
ありがとうございました。


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<御参考になさって下さい>

JAPAN OPEN GOLF CHAMPIONSHIP
 日本オープンゴルフ選手権競技 History[ヒストリー] http://www.jga.or.jp/jga/html/2006/08-0/history/history.html

ゴルフの図書館/ Choice レッスン・ノンフィクション
名人・小針春芳 ITゴルフを試す
http://www.golf-book.net/choice/index.html

ゴルフダイジェスト 雑誌・出版情報
http://www.golfdigest.co.jp/digest/book/

中村寅吉ギャラリー
http://www.tokai.ne.jp/tora-gallery/index.html


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