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Better Half's Diary(エバゴルフ・ブログ)

エバゴルフ工房のHPをご覧になって頂きありがとうございます。素敵な言葉・おもしろい言葉・感動した言葉などを書き留めたものが少しあります。出来るだけ暖かい温度を持っている言葉達を選び、足したり、引いたり、掛けたり、割ったりしながら、書き綴ってみたいと思います。ゴルフ・エコ・お花・お笑い・お料理・わが街の事やその時々の思いなど七つのカテゴリーを設けさせて頂きました。よろしくお願いします。              オーナーの妻(管理人)
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“ゴルフ界のドン”杉原輝雄プロ「人は皆、人間のプロ」
          

杉原輝雄
     

ゴルフボール


162僂半柄ながら、歴代3位となるプロ通算63勝の記録を持ち、粘り強いゴルフで“まむし”の異名を持っている、“ゴルフ界のドン”杉原輝雄(70)プロ。12年前から闘病中の前立腺がんが、リンパ節に転移したらしいとの事。15日間の予定で始めた放射線療法は体への負担が大きく4日間で中止し、現在はメンタルセラピストによる心理療法で治療を続けているという事です。手術を拒否し、「生涯現役」にこだわり、前立腺がんと闘い続ける杉原プロの不屈の人生にエールを。フレー!フレー!杉原プロ!
          
去年、偶然、杉原プロの「人は皆、人間のプロ」と言う記事が目に止まりました。とても心に響く文章でした。しばらくして、これまた偶然、テレビで放映されているお姿を拝見しました。このブログも、ゴルフ屋さんのHPのブログですし、何かのご縁かと思い、「人は皆、人間のプロ」を少しでも多くの方に読んでいただきたく、書かせていただきました。

自然も人も情緒不安定な中、杉原プロの生き方・考え方から、何か生きて行く上で手助けとなるヒントが見つかりますように。心をこめて・・・・・
     

ゴルフボール


            人は皆、人間のプロ

「金を稼ぐためのゴルフ」
戦後の豊かでなかった時代、私は農家の三男坊として幼少時代を送っていた。父は働き者で、畑を耕すだけでなく力仕事もしていた。家族を守るために二人分の仕事をしていた。そうやって家庭を支えてくれえていた。
 駄菓子屋に行く。私はそこに売っている、黄色い箱に入ったキャラメルが欲しくて仕方がなかった。でも、それを父にねだることはできなかった。
 小学校五年生になった時、私は近所のゴルフ場でアルバイトを始めた。打ちっ放しのボールを拾い集めるたりする仕事だ。土曜日の午後と日曜日はアルバイトに勤(いそ)しんだ。欲しいものがあるなら、自分で働いて手に入れる。それは当たり前のことだと私は思っていた。
 ゴルフ場でのアルバイトは中学生になってからも続けた。家には私を高校に行かせるだけの余裕はない。中学を卒業したばかりの子供にとって、職業の選択は多くはない。だから私はプロゴルファーを目指した。プロになればお金を稼げるという噂(うわさ)だけが頼りだった。
 しかし、プロになれる道筋などまったく分からなかった。今のように養成所があるわけじゃない。知り合いにプロがいるわけでもない。私はキャディーのアルバイトをしながらプロの道を自ら探った。
 そして二十歳になった時、プロゴルファーの試験に何とか合格した。まだゴルフというスポーツが日本に浸透していない時代。協会はプロを増やそうとしていた。そんな波に私はうまく乗れた。そういう時代でなければ、身体が小さく運動神経も決して良くなかった私がプロになれることはなかっただろう。
 そうして私は職業を得ることができた。しかしプロになったとはいえ、ゴルフ場からの給料だけでは生活は儘(まま)ならない。大会に出場して上位の成績を勝ち取らなければ収入は増えない。まして大会が開催されるのは、一年で十回にも満たない。交通手段も限られていたから、遠征する費用もばかにならない。一試合一試合が命がけの勝負だった。まさに生活のためのドライバー、金を得るためのパターだった。
 身体が小さかった私が戦うためには、筋力をつけるしかない。科学的な練習方法なども知らない。私は毎朝、神社の階段で走り込みをした。三十年間それを続けた。今から考えればそれは身体に負担をかけるだけで、かえって良くないことだっただろう。ただ、精神力が鍛えられたことは確かだ。
 長年の無理がたたって、身体はボロボロになっていた。しかし私はクラブを握り続けた。なぜならば、もしクラブを放り出したら私には金を稼ぐ手段がなくなる。ゴルフは金を稼ぐための私の大事な職業だ。それを放棄することは失業を意味する。
 今から十年前、私は前立腺がんの告知を受けた。手術をするか投薬での治療か。手術をする方が確実であることは分かっていた。しかし私は投薬での治療を選択した。手術をすれば、一年間はクラブを握ることができない。たとえ復帰でたとしても、一度メスの入った身体が思うように動くとは限らない。年齢的な理由もあった。当時、私は六十歳。自分の選手生命を考えれば、ゆっくり回復を待っている時間はなかった。
 「どうしてそこまでして」と言う人もいる。私はその問いに即答する。「男が仕事をする、金を稼ぐとはそういうことだ」と。

「勝つこと、負けること」 
ゴルフというのは基本的には自分との戦いであるが、さまざまなものに影響を受ける。雨や風などの自然、コースのレイアウト、そしてその時々の体調や精神状況など。なかでも説明のつかない運みたいなものがあるだろう。素晴らしいショットをしたのに、突風にあおられてOBになることもある。明らかにミスショットなのに、たまたま木にぶつかって跳ね返り、フェアウェイに戻ってくることもある。こうした運は説明することができない。
 私はこれまで六十三勝できたが、やはりそれは運がもたらした結果だと思っている。人間には持って生まれた運がある。それは先祖から受け継いだものなのか、両親がくれたものなのかは分からない。しかし運というものがあることは確かだ。タイガー・ウッズや尾崎将司といったトッププロは、やはり相当の勝負運をもっている。もちろんその運を生かすだけの実力は必要だが、実力以上の何かを彼らはもっている。
 人生もまた然り。運のいい奴もいれば、運の悪い奴もいる。また同じ人間でも、運がいいときと悪いときがあるだろう。それを一々嘆いても仕方がない。運がいいときには目に見えない何者かに感謝し、悪い時には自棄(やけ)にならずにじっと我慢する。運とつきあうにはそういう方法がいい。私はゴルを通してそのことを学んだ。奢(おご)らず諦めず、目の前にあるものに真摯(しんし)に向き合うことだ。
 そしていま一つ、勝負は負けることのほうが圧倒的に多いということだ。私は六十三勝したといっても、実はその裏には数十倍もの負けがある。百人の選手がいれば、その大会で勝利するのはたった一人だけ。九十九人は負けということになる。ほとんどの選手は負け続けるわけだ。その圧倒的な負けをどうとらえるか。負けたことをしっかりと自らが受け止め、いかに次に繋(つな)げていくか。ゴルフも人生も、そこにこそ人間としての神髄があるのではないだろうか。
 そして、圧倒的な負けと向き合えた者だけに、神様は一つの運を与えてくれる。ミスショットをフェアウェイに戻してくれる。私はそう信じている。
 若いプロゴルファーが増えてきた。小さい頃から自分のクラブを与えられ、いい環境で練習をさせてもらう。日本のゴルフ界にとってはいいことだし、心から羨(うらや)ましいと思う。ただ、それを当たり前だと思ってはいけない。練習をさせてくれている親への感謝を忘れてはいけない。応援してくれる皆に頭を下げなければいけない。そして自分が勝ったときには、負けた者の気持ちに思いを馳(は)せなければいけない。
 人は皆、生まれたときから人間のプロになるという使命を担っている。感謝と思いやり。こうしたことを身につけることが人間のプロになるためには大事だ
 偉そうに言う私もまた、まだまだ人間のプロになっていないのかもしれない。だから私はクラブを握り続ける。プロゴルファーに限らず、いかなる職業も同じだ。仕事を通して自分を磨き、仕事をすることで金を稼ぐ。負け続けながらも、必死になって仕事に食らいついていく。働くということはそういうことだ。生きるということはそういうことだと私は思っている。

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