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Better Half's Diary(エバゴルフ・ブログ)

エバゴルフ工房のHPをご覧になって頂きありがとうございます。素敵な言葉・おもしろい言葉・感動した言葉などを書き留めたものが少しあります。出来るだけ暖かい温度を持っている言葉達を選び、足したり、引いたり、掛けたり、割ったりしながら、書き綴ってみたいと思います。ゴルフ・エコ・お花・お笑い・お料理・わが街の事やその時々の思いなど七つのカテゴリーを設けさせて頂きました。よろしくお願いします。              オーナーの妻(管理人)
66歳のジャンボ尾崎、エージシュート!おめでとう!


ジャンボ4
エージシュートを達成した尾崎将司プロ


ホールイン・ワン」と並び「ゴルファーの永遠の夢」と言われる「エージシュート」。

「エージシュート」は、年齢を重ねなければ達成が難しい半面、肉体・技術は年齢と共に衰え、なかなか難しいのが現実です。


しかし、66歳の尾崎将司プロマックス・インターナショナル)が、1イーグル、9バーディー、2ボギーの「62」で回り、レギュラーツアーで史上初「エージシュート」を達成されました!おめでとうございます!


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男子ゴルフツアーの「つるやオープン」第1日が、4月25日、兵庫県川西市の山の原GC山の原C(6793ヤード、パー71)で開催されました。

ジャンボ尾崎は、7つのバーディを積み重ねて迎えた14番で、3パットでのボギーをたたいてしまいました。

しかしそこからの気合いは、往年のジャンボを彷彿とさせる集中力でスコアを伸ばしました。

15番、16番と連続バーディを奪うと、17番パー5では7メートルのイーグルパットを沈め10アンダーへ。
 
最終18番こそボギーとしましたが、9アンダー「62」は文句なしのエージシュート達成です!

ジャンボ追加2
<ショット前に繰り返す右手素振り>

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<17番でイーグルパットを決める。全盛期の自信満々の表情>

ジャンボ11
<17番でイーグルを決めてポーズをとる。ギャラリーも大喜び>

ジャンボ9
<17番でイーグルパットを沈めたジャンボ尾崎は、
往年の“コブラポーズ”を決めギャラリーを沸かせた>

ジャンボ10
<18番、「62」でホールアウトし、エージシュートを達成した
尾崎将司(左)プロには、弟の尾崎直道プロも“脱帽”>


尾崎直道プロも歴史の証人となりました。

4年ぶりに兄の尾崎将司プロと同組になり、「62」の好スコアを目撃したのです。

18番グリーン上では帽子をとって深々と頭を下げ最敬礼。

「本当にいいものを見せていただいた。本人が言うかもしれないけど“ニュージャンボの時代”だね。」と余韻に浸っていました。


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<堂々のエージシュート、通算9アンダー「62」で
単独首位に立った尾崎将司プロ>


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「つるやオープン」第2日。

この日は早朝スタートにもかかわらず多くのファンがジャンボ尾崎のプレーを見守りました。

内容は4バーディ・5ボギーの「72」と1つスコアを落とし、4ホールを残してサスペンデッドとなった松山英樹らに並ばれるも、トータル8アンダーで暫定ながら首位をキープしました。

2011年ブリヂストンオープン以来28試合ぶりとなる予選通過を確実なものとしました。

ジャンボ12
<第2ラウンドスタート前にジャンボ尾崎に花束贈呈、大ギャラリーが祝福>

ジャンボ追加1

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<7番、セカンド地点へ向かう>

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<15番でティーショットを放つ>

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<16番のグリーン横バンカーからボールを出す>

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< 16番、ティーショット待ちの時間に折りたたみ椅子に座る>

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「つるやオープン」第3日。

誰よりも大きな声援を受けてスタートしたジャンボ尾崎だったが、66歳の体はすでに悲鳴をあげていました。

3番、4番と連続ボギーでいきなりスコアを落とし、中盤は3つのバーディを奪うなど見せ場も作りましたが、14番、最終18番とボギーを叩き、結果、3バーディー、4ボギーの1オーバーで 2日目の4位から22位に後退しました。

「ダメだ。体が動かない。初日は2、3日休んだから体が動いたけど、日々落ちてくる。微妙な体重移動なんかが上手くいかない。」と、思うようにならないゴルフに肩を落としました。

1日早い勝負服を着用した理由は、「今日が一番テレビに映るというのがわかったからだよ(笑)。」と、ジョークでかわしたが、優勝に近い位置でプレーすることで多くのファンが来てくれることを見越してのジャンボ流ファンサービスでした。

往年の優勝争いを思い起こす雄姿に、ギャラリーも大喜びで、これには、「(ギャラリー)多かったな〜。話題が提供できたのかな。」と、満足気な表情を浮かべました。

ジャンボ3日目4
<3番、第2打を放つがイマイチの表情>


ジャンボ3日目2

ジャンボ3日目3
<4番ホールで右谷にティーショットのボールを落とし
狙う方向をジャンプして確かめる>

ジャンボ3日目

ジャンボ3日目5
<9番ホールでショットが乱れたがパーで上がり笑顔を見せる>

ジャンボ3日目6


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「つるやオープン」最終日。

最終日は5オーバー76、通算2アンダーの51位で4日間を戦い終えました。

約3年半ぶりのアンダーパーの健闘に、最終18番では万雷の拍手を浴びました。

4日間を歩き通して、疲れはピークにきていましたが、「4日間歩けた喜びはある。今週はうれしかったな。声援もすごいし。ここ(レギュラーツアー)にいてよかったと思う。」と。
 
大会後、ベストスコア賞、エージシュートへの表彰を受け、純銀製の記念盾と賞金を受け取りました。
 
同じ18番グリーン上で表彰式を待つ松山英樹プロを抱き寄せ、一緒に記念撮影。
 
「すばらしいね。ナイス優勝。プロのゲームだったね。遼がいなくなって、彼が引っ張ってくれないとおもしろくない。」と。
 
21歳の快挙を祝福すると同時に、今季から米ツアーを主戦場にしている石川遼プロの“後継者”として期待を寄せました。

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<初優勝を挙げた松山プロ(右)と手を振るジャンボ尾崎>

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実弟のプロゴルファー尾崎健夫(59)さんの夫人だった人気女優、坂口良子さんが3月27日に57歳で死去されました。
 
義妹さんの密葬でジャンボ尾崎は号泣したという。
 
もしかすると、坂口良子さんが悲しみにくれる皆さんのために、天国から見守ってくれたのではないでしょうか・・・・・・

ジャンボ7


ジャンボが、1度もシニアツアーでプレーをせずにレギュラーツアーに固執しているのは、再び優勝の感動を味わいたいからという。
 
66才のジャンボ尾崎の、ドライバーが飛び、アイアンが切れ、パターも入り、不死鳥のごとくよみがえりました!
 
年齢を4つも下回る62というビッグスコアでエージシュート達成です!

国内男子レギュラーツアーでのエージシュートは史上初の快挙です。おめでとうございます!
 
世界殿堂入り選手がまた一つ伝説を刻まれました。

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▽エージシュート 

1ラウンド(18ホール)で、自分の年齢以下のストロークでホールアウトすること。

日本ゴルフツアー機構によると、米ツアーでは1979年のクアッド・シティーズ・オープンの第2ラウンドでサム・スニード(米国)が67歳で「67」を記録したのが初めてです。

スニードは最終ラウンドも「66」で回りました。

アーノルド・パーマーは71歳の時に複数回(正確な数字は不明)マーク。

日本のシニアツアーでは、81年の関東プロシニアの第1ラウンドで中村寅吉プロが65歳で「65」をマークしたのが初めてです。

青木功プロはシニアで3度達成しています。


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◇尾崎将司(おざき・まさし)プロ

1947年1月生まれ。

徳島・海南高(現海部高)時代は野球部のエースとして活躍し、64年センバツで優勝しました。

65年にプロ野球・西鉄(現西武)へ入団し、67年限りで退団。

70年にプロテストに合格してゴルフへ転向し、「ジャンボ」の愛称で青木功プロ、中嶋常幸プロとともに日本ゴルフ界を引っ張っりました。

ツアー通算94勝、賞金王12回はいずれも歴代トップ。

弟の健夫さん、直道さんもプロゴルファー。

2010年に世界ゴルフ殿堂入りしました。
 

ジャンボ1
<(左から)中嶋常幸、青木功、尾崎将司の「AON」=2012年10月11日>

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ジャンボは歴代1位のツアー通算94勝。生涯賞金約26億9000万円。

12度の賞金王に輝いたレジェンドも、寄る年波には勝てず近年は成績が低迷していました。

昨季は22試合に出場しましたが、一度も予選を通過できず、プロ43年目で初めて一円も稼げませんでした。

「ひそかにベッドの中で泣いてるんだよ。それをはね返さないと、現役続行とは言えないだろう。」と。

青木功プロらかつてのライバルたちがシニアツアーに参戦する中で、かたくななまでにレギュラーツアーにこだわるジャンボは、結果を残すための道筋を模索し続けていました。
 
昨年12月からドライバーのシャフトの長さを1インチ伸ばし、使ったことのない46インチの長尺ドライバーを使用しました。

「試合で使うためには、練習ではさらに1、2インチ長いドライバーを使って、慣れないといけない。」とも。

ゴムを用いたトレーニングで肩の可動域を広げ、タイヤを引っ張って足腰を鍛え直したのです。

今季からはクラブを一新しました。大ベテランにとって異例の選択のすべては再び勝つためでした。

一般なら定年退職を過ぎた66歳です。

肉体的に老いを痛感する年齢なのに記録を作った裏側には、「勝利への執念」という衰えない精神力と、「豊富な練習量」があったからなのです。

2013年の“ジャンボ劇場”が大いに楽しみですね。

頑張れ、ジャンボ!

| Better Half | ゴルフ | 09:23 | comments(0) | - | pookmark |
20歳の石川プロ、3回の「ホールインワン」達成!

石川
<ホールインワンを見届け、両手を挙げて喜びを爆発!2010年9月25日>


ボール


石川遼プロの「ホールインワン!」というツアー初の快挙達成の瞬間は、2010年9月25日。
 
大切なホスト試合の「アジアパシフィック パナソニックオープン(会場・六甲国際ゴルフ倶楽部)」3日目の6番ホール(パー3、187ヤード)でした。

石川
<さあ行こう!と腕まくり!>

石川
<パナソニックの看板の前でショット>


ボール


以下は、日本ゴルフツアー機構 さんよりお借りしました。

右からの風の中、迷わず握った7番アイアンは、ピンに向かってまっすぐに飛んだ。
 
ボールの行方をじっと見守る石川プロ。

「イメージより右に流されている感じがあったので、これ以上は流されないでくれ。」と、思わず祈った瞬間に、ピンの手前で数回バウンドしたボールは忽然と視界から消えた。

「一瞬、何が起こったのか分からなかった。」

187ヤードの6番パー3は、コースの中でもっとも奥まったホールのひとつにもかかわらず、沸き起こった地鳴りのような歓声は、クラブハウスにまで届いた。
 
戸惑いつつも、同組の先輩、薗田プロらとハイタッチ。そして万歳。

それでもまだ信じられず、グリーンに上がってそっとカップの中をのぞき込む。

ボールを確認してようやく実感が沸いた。

石川


拾いあげたボールは躊躇なく、観衆に投げ込んだ。

石川


 ロープの外から聞こえてくる声。

「おめでとう!」に混じって、感極まったようなお喋りは、「いい物見たな!」とか「ここにいてラッキーだったな!」とか、奇跡を目前にして、本音を語り合うギャラリーのみなさんの率直な感想だった。


ボール
You Tubeでご覧ください。
 ボール


2度目のホールインワンは、2011年11月13日。

石川
<朝の練習場にて、霊峰・富士をバックにショットの調整を行う>


 「三井住友VISA太平洋マスターズ太平洋クラブ御殿場CC)」の最終日の17番ホール(228ヤードのパー3)でした。


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以下は、日本ゴルフツアー機構さんよりお借りいたしました。

右からの向かい風に、握ったのは4番アイアン。

「良い感触で打てた。あとは、どこに落ちるかのお楽しみ。」というティショットは、それどころか手前15メートル辺りからカップに向かって一直線に転がり込むと、びっくり箱をひらいたようなお祭り騒ぎが待っていた。
 
誰が喜んだといって、大ギャラリーはもちろんだが、いちばん嬉しそうにそこら中を跳ね回ったのが、石川プロだった。

真っ赤なキャップをむしり取るようにして、天に向かって振り上げた。

石川

そのまま両手を広げて走り回った様子は、ゴールを決めたサッカー選手さながらだった。
 

石川


同組の近藤プロや小田孔プロばかりか、ギャラリーと言わずスタッフと言わず、誰かれなしに、石川プロ自らハイタッチをして駆け回る。

近ごろずいぶん大人びたと評判の20歳が、このときばかりは少年の顔だった。素直な感情を、全身で爆発させた。
 

石川


ライン
You Tubeでご覧ください。
ライン


3度目のホールインワンは、2013年3月9日。

石川遼


プエルトリコ・オープン(トランプ・インターナショナルGC)」の第3日、8番ホール(パー3)で、米ツアーでは自身初のホールインワンを達成しました!


ボール


以下はスポニチさんよりお借りしました。

バンカー越えの8番パー3。

この日の実測は183ヤードだったが、61を振り抜いた石川プロがクラブを後ろに放り投げた。

「力が入った。バンカーに入らなければいいなと思った。」というミスショットの10秒後だ。

観客のいないグリーン方向から日本人関係者の声が響いた。

「入れっ。入ったあー!」

ボールはピン手前2メートルに落ちてゆっくり転がりカップイン。

石川遼

石川遼

石川遼

石川遼

石川遼

石川遼


「入った瞬間見えなかった。凄くラッキー。2、3打得した。ミスしたアプローチが入った感じ」。

米ツアー初で自身3度目となるエースは、はしゃぐことなく笑顔でキャディーとハイタッチした。

ハイタッチ


インに入って11番でボギーを叩いたが、「(エースの)100倍うれしかった。」という15番パー5のイーグルで流れを引き寄せ、17、18番でも連続バーディー。

今季初めてリーダーボードに自分の名前を載せた。
 

スコアーボード
<スコアボードの石川遼の8番にホールインワンを示す「1」の数字>


3月11日には東日本大震災から丸2年を迎えるが、「自分にできることはこれ(ゴルフ)しかない。米国からいいニュースを届けたいと思ったけど、それがプエルトリコでもいいかな」と。

3・11前日にホールインワンという明るい話題を届けた男は、さらなるチャージを誓った。

ボール
You Tubeでご覧ください。
ボール


皆さんは、ホールインワンの確率はどれくらいかご存知ですか?

いろいろな説があるようですが、ある説では、12000分の1と言われているようです。

ちなみに宝くじの1等が当たる確率が、1000万分の1だそうです。

ということは、宝くじを当てるよりは簡単ということになります。

また、こんな説もあります。

ホールインワンの確率は、男子プロで「3600回に1回」、女子プロで「4700回に1回」、アマチュアプレーヤーは「47000回に1回」とか。

一般ゴルファーの場合は「10700ラウンドに1回」だそうです。

プロゴルファーでもなかなか出せないのがホールインワンです。

しかし、「ホールインワンの神様」は、若干20歳の石川プロに、3回ものホールインワンをプレゼントしてくださいました。

はてこの先、あと何回プレゼントしてくださるんでしょう?楽しみですね。

同じ星の、同じ時代・同じ時間を共有している皆さんと一緒に、できるだけたくさん、その歴史の証人として、その喜びを分かち合いたいものです。   
| Better Half | ゴルフ | 08:38 | comments(0) | - | pookmark |
月刊ゴルフダイジェスト4月号に掲載!

ゴルフダイジェスト
月刊ゴルフダイジェスト4月号


エバゴルフ工房」が、「月刊ゴルフダイジェスト4月号」に紹介されました。

同誌の264〜265ページです。

掲載ページ


 「商品だけではありません、パター以外の13本をど〜んとグリップ交換までプレゼント」ということで、応募に当選した方にグリップだけでなくグリップ交換までプレゼントして差し上げるというコーナーです。

そのグリップ交換を担当する「全国の腕利き15工房」の一つに「エバゴルフ工房」が選ばれ、協力させて頂くことになりました。
 
掲載記事の中で当工房のコーナーは、とてもかわいいものですが、これが御縁で、皆様とお近づきになれましたら幸せです。

えば


当工房は、グリップ交換だけでなく、オーダー、修理、調整等も承っております。

お近くの皆様も、遠方の皆様も、ゴルフクラブに関する様々なお悩み等を、お気兼ねなくご相談下さい。
 
エバゴルフ工房
メール koubou@eva-golf.com
電話  0287-63-7654
携帯  090-3001-8287
FAX  0287-63-7664
 
どうぞよろしくお願いいたします。
| Better Half | ゴルフ | 10:53 | comments(0) | - | pookmark |
15歳の天才アマチュアゴルファー『リディア・コ』

リディア・コ
 <2012年8月、「CNカナディアン女子オープン」で優勝した『リディア・コ』>


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米女子ゴルフツアーに、驚くべき新人が出現しました!

2013年2月14日から2月17日、オーストラリアのロイヤルキャンベラGCで開催された「ISPSハンダ・オーストラリアン女子オープン」では、4日間を通じて、若干15歳のスーパーアマチュア、『リディア・コ』に話題が集中しました!


リディア・コ
<「ISPSハンダ・オーストラリアン女子オープン」初日>

リディア・コ
<「ISPSハンダ・オーストラリアン女子オープン」3日目>


「ISPSハンダ・オーストラリアン女子オープン」最終日。

『リディア・コ』は、2位に6打差をつけ首位タイで申智愛との一騎打ち!

しかし、出だしの1番でダブルボギー、続く2番ではボギーと大きくつまずいてしまいました。

終始グリーン上で苦しみながらも、後半12番までに再びトップに並びました!

結果、通算14アンダー、単独3位で終わってしまいました。

おしい!若干15歳のアマチュア、『リディア・コ』!


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しかし、この15歳のスーパーアマチュア『リディア・コ』は、なんと今までプロトーナメントで3勝を挙げているのです!


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プロトーナメント1勝目は、2012年1月、豪州女子ツアー「ニューサウスウェールズオープン」。

プロツアー史上最年少の14歳9ヶ月で優勝しました!

なんと石川遼が持っていたプロ大会の世界最年少優勝記録15歳8か月を更新してしまいました!

リディア・コ
<画像は「ゴルフの名言【日々是口実さがし】」より>

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プロトーナメント2勝目は、2012年8月、「CNカナディアン女子オープン」。
 
同ツアーの最年少優勝記録となる15歳4か月2日で優勝しました!

これまでは、レキシー・トンプソン(米)の16歳7か月が最年少記録でした。

また、同ツアーでのアマ選手の優勝も43年ぶりということです!

リディア・コ

リディア・コ
<「CNカナディアン女子オープン」2日目>

リディア・コ
<「CN カナディアン女子オープン」3日目>

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リディア・コ
<「CNカナディアン女子オープン」最終日>

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さらに「カナダ女子オープン」の2週間前に行われた、「全米女子アマチュアゴルフ選手権」でも優勝したそうです!

リディア・コ

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プロトーナメント3勝目は、2013年2月10日、欧州&豪州ツアー共催の「ISPSハンダ・ニュージーランド女子オープン」。

並みいるプロを退け、最終18番で勝負を決める約90センチのパットを沈め、ニュージランド人初の同大会優勝!

そしてエイミー・ヤンが記録していた16歳6カ月の最年少記録を9カ月更新し、同大会史上最年少優勝者にも輝きました!

リディア・コ

リディア・コ

リディア・コ

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『リディア・コ』は、韓国人の両親のもと、1997年4月24日韓国で生まれ、6歳の時にニュージーランドに移住し、現在はニュージーランド国籍の15歳の女の子です。

韓国名はコ・ボギョンで、韓国語と英語を話し、身長は172.7cmとか。

 
以下は、ブログ(http://blog.oricon.co.jp/sdsew/archive/65/0)よりお借りしました。

ニュージーランドのオークランドにあるファインホスト・スクールの11学年に在学中のリディア・コは、1997年にソウルで生まれた。

5歳のときにおばが住むオーストラリアに遊びに行った際、7番アイアンとパターをおもちゃとして買ってもらい、これがきっかけでゴルフを始めた。

ソウルに戻ると銅雀区大方洞にある室内練習場で、ドライバー、アイアン、パターを47日間練習し、48日目に行った初めてのラウンドで130打を記録したという。

証券会社の支店長だった父のコ・ギルホンさん(51)と、学校で英語教師をしていた母のヒョン・ボンスクさん(50)は、娘の才能を認めて2003年にニュージーランドに移住し、ゴルフ場の前に家を買った。

9歳のときから大会に出場し初め、11歳になった08年には大学生まで出場できるニュージーランド・アマチュア・チャンピオンシップで準優勝した。

また、10年にはゴルフのニュージーランド代表に最年少で選ばれるなど、ジュニアゴルフの大会を席巻し、さまざまな大会で「最年少記録」をいくつも塗り替えた。

リディア・コは「“ゴルフはできても勉強はできない”と言われたくない。勉強で頑張ればゴルフにも役立つと思う。例えば数学を勉強すればパットのラインをうまく読むことができる。」と語る。

放課後は4−5時間ほどゴルフを練習し、その後は深夜まで宿題など勉強に取り組む。

海外の大会に出場するときも、プリント教材や参考書などを必ず数冊持参するという。

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若干15歳のスーパーアマチュアゴルファー『リディア・コ』の将来は未知数です!
 
並みいるプロを押しのけ、アマチュア時代に勝利したという確かな手応えが、今後の彼女のゴルフ人生を支えてくれるでしょう!
 
アマNo.1から世界No.1へ!

これまでの歴史をいくつも書き換えながら、新星「リディア・コの時代」が始動しています!
 
これからの米女子ゴルフツアーに目が離せません!

頑張れ!『リディア・コ』!

リディア・コ

さて、このブログをご覧になって下さっているみなさん、14歳・15歳の時、何をしていましたか?

そして私はいったい何をしていたんだろう????

| Better Half | ゴルフ | 08:36 | comments(0) | - | pookmark |
あけましておめでとうございます!


エバゴルフ
<エバゴルフ工房>


あけましておめでとうございます!本年もどうぞよろしくお願いいたします。 
 
去年、エバゴルフ工房は、かねてより念願のニューアルオープンをいたしました!

今年は、新しい工房で、ゴルフ道を愛する皆様と、ゴルフ談議に花を咲かせるのを楽しみにしております。

もちろん、 あなたの特質に合った世界にたった一つのオーダーメイドゴルフクラブをご希望の方や、お手持ちのクラブの修理・調整をご希望の方も、ぜひ足をお運びください。お待ちしております。


クラブのライン


去年の暮れに「しめ飾り」を作ってみました。
 

しめ飾り
<工房用しめ飾り>


例により、山に行って、「藤ヅル」を採って来て丸くまとめ、松の枝やお飾りを ホットボンドでくっつけてみました。

工房用は、ちょっと大きめに。自宅用はかわい〜く。まあまあかな?


しめ飾り
<自宅用しめ飾り>

クラブのライン


1月6日に、「初詣」に行って来ました。

今年は、初めて「那須の温泉神社」に行って来ました。

消防車がたくさん止まっていました。どうもちょうど消防の「出初式」に遭遇したようです。

階段を下りてこられるのは、消防隊の方々です。 

温泉神社
<那須温泉神社>

ご神木
<ご神木>

神社から
<鳥居のはるか向こうは那須塩原市?>

クラブのライン

さて、今年はどんな年になるのでしょう?

皆さんと皆さんの大事な方々が、大切な愛にたくさん出会えて、すばらしい 年になりますように!

お正月飾り

へび1どうぞ本年もよろしくお願いいたします。へび

≪エバゴルフ工房≫

| Better Half | ゴルフ | 14:46 | comments(0) | - | pookmark |
祝!小針春芳プロ「日本プロゴルフ殿堂」入り!

殿堂
<第1回日本プロゴルフ殿堂入り式典>


日本のプロゴルフ界に偉大な功績を残し、多くの人に感動を与えた選手を後世に伝えるため、日本プロ協会(PGA)日本女子プロ協会(LPGA)日本ツアー機構(JGTO)の3団体が、「偉業を称え、未来を拓く。ゴルフから」のスローガンで、感謝と敬意を表する「日本プロゴルフ殿堂」を昨年10月に設立しました。

栃木県のプロ第一号である小針春芳プロは、「日本プロゴルフ殿堂」の第1回顕彰者7名の一人に選ばれ、2012年3月26日、顕彰を受けられました。おめでとうございます!

7名のうち、唯一ご存命の小針春芳プロにはブレザーが進呈されました。

式典には、長男の良一さん(下写真中央)が代理で出席されました。


表彰
<小針春芳プロの代理で出席された長男の良一さん>

クラブのライン−1


以下は、第1回「日本プロゴルフ殿堂」顕彰者の7名です。

(内容は「日本プロゴルフ殿堂」のHPを参考にさせていただきました。)

宮本留吉ー1
宮本留吉(みやもと・とめきち)プロ


1902(明治35)年9月25日〜1985(昭和60)年12月13日

日本オープン6勝、日本プロ4勝、関西オープン4勝、関西プロ4勝

1929年の第2回ハワイオープン安田幸吉プロとともに日本人として初めて参戦し、日本プロ初の海外遠征を果たしました。
 
ツアー競技、シニアツアーのなかった時代、賞金ランクも年齢制限のくくりもないゴルフ競技のフィールド、メジャーだけが競技だった時代、メジャー20勝、生涯グランドスラムを4サイクル達成は未曽有の記録でした。


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浅見緑蔵
浅見緑蔵(あさみ・ろくぞう)プロ

1908(明治41)年8月20日〜1984(昭和59)年6月19日

日本オープン2勝、日本プロ2勝、関東プロ2勝
 
脂の乗った時期を兵役に奪われましたが、1928(昭和2)年の日本オープンは2位に7打差をつけプロゴルファーとして最初の日本オープンチャンピオンとなりました。ときに19歳9カ月と7日。この記録は日本オープン史の最年少記録として、いまだ破られていません。

6カ月後の第3回日本プロで優勝。日本オープンに次ぐメジャー連続制覇、年間で2つのメジャーをすべて獲得する偉業は、弱冠20歳3カ月と10日。この記録もまた伝統のメジャー競技、日本プロ選手権の最年少記録としていまだプレーヤーの目標となっています。

1931年、日本オープン、日本プロさらに関東プロの第1回大会にも勝利し3冠を達成しました。
 

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戸田藤一郎
戸田藤一郎(とだ・とういちろう)プロ


1914(大正3)年11月22日〜1984(昭和59)年7月11日

日本オープン2勝、日本プロ4勝、関西オープン4勝、関西プロ5勝

日本オープン2勝、日本プロは3連覇を含む4勝。関西オープン4勝、そして関西プロでも3連覇を含む5勝とメジャー15勝。輝かしい金字塔をたてました。戦後に新設されたシニア競技では関西プロシニアを勝ち、日本プロシニアでは5連覇を含む6勝をあげました。シニアでの7勝をも含むとメジャー22勝。日本ゴルフ史上、最多のメジャー・タイトルホルダーです。
 
1939(昭和14)年に日本オープン、日本プロ、関西オープン、関西プロのメジャー4戦の全タイトルを年間、一手におさめたグランドスラムが光ります。
 
1936年日本人プロとして初めてマスターズに出場するなど海外遠征のパイオニアの一人でもありました。

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中村寅吉
中村寅吉(なかむら・とらきち)プロ


1915(大正4)年9月17日〜2008(平成20)年2月11日

日本オープン3勝、日本プロ4勝、関東オープン5勝、関東プロ3勝、カナダカップ(現在のワールドカップ)個人・団体優勝

「トラさん」の愛称で親しまれた中村プロは57年、ワールドカップの前身のカナダカップに、小野光一プロと組んで出場。団体、個人で日本勢初Vの快挙を達成しました。日本の力を世界に知らしめ、ゴルフブームの火付け役となりました。

指導者として、樋口久子プロを世に出し全米女子プロ選手権の優勝に導きました。

日本女子プロ協会(LPGA)会長、日本プロゴルフ協会(PGA)副会長を務められました。
 

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小野光一
小野光一(おの・こういち)プロ

1919(大正8)年5月19日〜2000(平成8)年11月6日

日本オープン3勝、日本プロ1勝、関東プロ5勝、カナダカップ(現在のワールドカップ)団体優勝

1957年のカナダカップ(霞が関CC東)で中村寅吉プロと組んで優勝、日本のゴルフを海外に知らしめました。

日本統治下の中国に生まれ育ち、日本の関連ゴルフ場でゴルフとめぐり合い、日本にきました。その後、ゴルフで数々のタイトルを手にしますが、その数奇な運命とエポックメーキングとしての存在感は他を圧するものがありました。
 

クラブのライン−1
 
林由郎
林由郎(はやし・よしろう)プロ

1922(大正11)年1月27日〜2012(平成24)年1月2日

日本オープン2勝、日本プロ4勝、関東オープン2勝、関東プロ2勝

1950年、日本オープンと日本プロがわずか1日おいただけで開催され、林プロはその両方のタイトルを取りました。9日間で2メジャー優勝。それもオープンとプロの2大タイトル。今後決して起こらない前代未聞の出来事でした。

今年1月に89歳で亡くなった林プロは、戦後のゴルフ興隆に多大な貢献を果たしました。

選手としての実績だけではなく、名伯楽としても知られ「我孫子一門」として青木功プロ尾崎将司プロら6人の賞金王、賞金女王を輩出しました。
 

クラブのライン−1

小針春芳
小針春芳(こばり・はるよし)プロ


1921(大正10)年4月24日生まれ

栃木県那須塩原市在住。91歳。

日本オープン2勝、関東オープン2勝、関東プロ2勝

1936年那須GCに就職、1940年プロ入り。わずか2戦で第2次世界大戦勃発、約10年にわたってゴルフを離れました。戦後のゴルフ界復興期を支え今日のトーナメント隆盛に寄与したトッププロゴルファーです。日本オープン2回、関東プロ2回、関東オープン2回優勝。シニア7勝。カナダカップには2回出場。高いティーから打つ正確無比なドライバーショットと5番ウッドの名手として知られました。生涯那須を動かず「那須の小天狗」「那須の神様」と言われました。

1955(昭和30)年の関東プロ(千葉・我孫子GC)。マッチプレー33ホール目、小針プロは中村寅吉プロを下し、初優勝を飾ったのが34歳でした。
 
中学を卒業、16歳で国鉄の就職試験を受け筆記は合格するも身体検査で色弱がわかり不合格。同じころ建設中の那須GCに就職しました。やがてキャディー兼研修生となった19歳のとき、ホームコースの那須で第2回関東プロ招待競技にコースの推薦で出場するといきなり2位になりました。それも自分のクラブは持っていなかったので、貸しクラブを使っての快挙だったのです。

大会には浅見緑蔵プロはじめ中村寅吉プロ、安田幸吉プロらトップ選手がそろって出場。1日36ホールの争いでした。18ホールを終わって3アンダー68のコースレコードを記録しトップに立ちました。午後は76でまわり首位の浅見プロと9ホールのプレーオフ。それでも決着がつかずさらに9ホールプレーしましたが、力尽き2打差で敗れました。この好成績が認められ、晴れてプロ入り。当時はゴルフ場が「うちのプロです」と認めればプロになれた時代でした。
 
華やかなスタートでしたが、この年日本オープンなど2戦に参戦しただけで12月に第1次世界大戦開戦、兵役に就き中国、ニューギニアを転戦しました。死線を何度もさまよいニューギニアでは400人の部隊で生き残った13人の一人でした。
 
時代に翻弄されながらの数奇な人生。日本ゴルフの中心を歩んだ当時100人ほどのプロの中でも小針プロの生きざまは壮烈でした。日本オープンは2度タイトルを手にしました。最初は1957(昭和32)年、愛知CC東山の第22回大会。36ホールでトップに立ち石井朝夫プロ、林由郎プロとの優勝争いを制しました。57年と言えばカナダカップで日本が優勝した年、シーズン最後のビッグイベントとして注目の大会でした。小針プロが“第3の男”としてその存在を語られるのは“遅れてきた男”のイメージが重なるせいでしょう。
 
2勝目は1960(昭和35)年の広野GC。3日間72ホール。最終日に36ホールを行うタフな大会は、2連覇を目指し、トップを走る陳清波プロを追って小野光一プロ、小針プロが最終組、同組で追う展開でした。しかし、陳プロに2打及ばず小針プロ2位、小野プロ、藤井義将プロ、ムーディープロらが3位のはずでした。ところが、スコアを提出したあと11番パー4、陳プロがバンカーに入れボギーとしたのを、マーカーの小野プロがパーと記入、陳プロも確認を怠りスコア誤記で失格となりました。このことを小針プロは風呂に入っていて知りました。「私には何のことかわからなかった。ゴルフに失格なんかあったのかキツネにつままれたようだった」と驚く大事件でした。
 

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後日、我がパートナーが、小針プロのご自宅に「日本プロゴルフ殿堂」入りのお祝いに伺いました。

その際、小針プロよりご自身の写真を頂戴してまいりました。ありがとうございました。

わが家の「家宝」にさせて頂き、新しい工房に飾らせて頂いています。
 

小針プロ
<小針春芳プロ>

クラブのライン−1


尚、11月2日、那須塩原市の発展や市民福祉の向上などに功績があった人や団体を表彰する「平成24年度那須塩原市表彰式」が行われました。
 
小針春芳プロは、スポーツの分野で功労が認められ表彰されました。 おめでとうございます。

クラブのライン−1


以上、ここ一週間程、感謝と賛辞と敬意を心に、小針春芳プロはじめ、偉業を成し遂げられた方々の足跡を辿ってみました。

その途中、ふと、何度も立ち止ってしまいました・・・・・・
 
「いったい、私自身は何を残せるだろう?」と。・・・・・・
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広告掲載!「SABABU さばぶ」12月号!

さばぶ
<SABABU さばぶ>


エバゴルフ工房リニューアルオープンに伴い、多くの方に知っていただきたく、広告を掲載しました。

とちぎ県北フリーマガジンの「SABABU さばぶ」12月号です。

さばぶ2


街で「SABABU さばぶ」の12月号を見かけましたら、お手に取って、ぜひご覧になって下さい。
 
リニューアルオープン記念として、2012年12月末日まで、クラブチェック( 通常5,000円〜8,000円相当 ) を無料にさせて頂きます。

ご来店の際、“「SABABU さばぶ」を見た”とお伝え下さい。

ゴルフ道を愛する方、オーダー・修理・調整をご希望の方、 ご来店をお待ちしております。
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週刊ゴルフダイジェストに掲載!
 

ゴルフダイジェスト
<週刊ゴルフダイジェスト11月27日号>


週刊ゴルフダイジェスト」の11月27日号の特別付録に「エバゴルフ工房」が掲載されました!

タイトルは「全国いい店、飛ばせる店。トップアマが推薦するクラブ工房&クラフトマン100選」というものです。

エバゴルフ工房


書店に行かれましたら、「週刊ゴルフダイジェスト」をご購入になり、どうぞご覧になって下さい。

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小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」飛 躍
これは、2010年5月22日、下野新聞「私の生きた刻(とき)」に掲載された「プロゴルファー小針春芳さん」の記事です。

今回はその14回目で最終回です。

1〜13回は以前の私のブログをご覧下さい。
 
12回からの掲載が、大変遅くなってしまったため、申し訳ありませんが、脳内を2010年にタイムスリップしてからご覧になって下さい。

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小針プロ


<ゴルフの季節となってきました。私も体調を戻して再びグリーンに立ちたいと
思っています=那須塩原市の自宅にて>

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「私の生きた刻(とき)」 プロゴルファー 

小針春芳さん(89) 飛 躍

海外メジャー制覇願う  


 4年前、初めて女子トーナメント観戦に行きました。女子プロが生まれたのが昭和42(1967)年で、私がトーナメントで勝っていた30年代は男子だけでした。意外と女子プロとの交流はないものです。練習場で日本オープンに2度勝っていると紹介されたところ、隣にいた女子プロから「中部銀次郎(なかべぎんじろう)?」と言われた時は参りました。中部さんとは一度ラウンドしたことがありますが、私より20歳以上も若い方です。
 今季海外3勝と好調な宮里藍(みやざとあい)ちゃんのスイングリズムは良かった。ドライバー、アイアンとみな同じテンポ。スイングアークも大きいのもいい。
 昨年、あと一歩で賞金女王を逃した諸見里(もろみざと)しのぶプロはフィニッシュで左ひじがきちっと同じ角度を保っているところが素晴らしい。だからボールが曲がらない。横峯(よこみね)さくらプロのスイングはアマチュアはまねできませんね。  

 一時、スター選手が不在で女子プロに比べ劣勢だった男子プロ界は、石川遼(いしかわりょう)プロが救世主となりましたね。遼君はテレビでしか見ていませんが、数十年に1人の逸材と思います。ショットばかりに気が取られますが、何といってもパットがうまい。
 一流選手はパットがうまいのが絶対条件です。アプローチとパットがうまくなければ駄目。その点、マスターズでは2年連続で予選落ちしましたが、今年の中日クラウンズ最終日の「58」は力の証拠。海外メジャーで勝てる力を秘めていると思います。
 私もクラウンズは昭和35(1960)年の第1回大会から10回以上出場しました。クラウンズといえば名古屋GC和合(わごう)コースですが、当時は、愛知CC東山CCコース、三好CCなども舞台となりました。
 優勝こそありませんが、相性がいい大会で2位が1回、3位が2回、5位、6位が1回となっています。安田春雄(やすだはるお)プロが初優勝した第9回大会では和合コースで初回30、35の65でラウンド謝敏男(しゃびんなん)プロとトップに並んだこともあります。でも、とても50台は考えられないスコアです。
 ジャンボ(尾崎将司プロ)はその飛距離がクローズアップされますが、小技が実にうまい。特にパットが。だから、強かったわけです。腰を痛めて勝てなくなりましたが、痛めなければ60歳でもレギュラーツアーで勝てたでしょう。遼君はジャンボ以来の逸材とみています。

 ツアー競技は今の経済状態で少なくなっているとはいえ、まだまだ、恵まれています。私たちの時代は試合は公式戦だけ。スポンサートーナメントは中日クラウンズが先駆けです。
 会場に足を運んでくれるギャラリー、テレビで観戦してくれるファン。お金を出してくれるスポンサー。プロは感謝を忘れてはいけません。テレビ観戦をしているとボギーをたたいて、不機嫌な態度を取る選手がいますが、とんでもないことです。すべて自分が悪いのだから。クラブをたたきつけたくなる気持ちは分かりますが、やるのなら自分の足をたたきなさい。
 トーナメントを支えてくれるコース整備の人たち、運営のスタッフなど多くの人たちのおかげで気持ちよくプレーできるのだから、感謝の気持ちを忘れてはいけません。トーナメント開催に当たり、開催コースは数年前から準備を進めているのです。
 精進してアマがあこがれる飛距離、アマができないショットを披露するのがプロです。夢を提供するのがプロです。1打1打に選手が一喜一憂してはいけないのです。
 そして願うは日本人プロの海外メジャーでの勝利です。私も体調の関係で半年以上ラウンドしていませんが、関東プロゴールドを目標に準備を始めたいと思っています。(構成 井上孝男)(終わり)

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小針春芳さんは、現在91歳になられ、拙宅から車で5分程の所に住んでいらっしゃいます。

本日、パートナーがお住まいにお邪魔してきました。

御高齢のため、「テレビでゴルフを観戦するのが楽しみです。」とおっしゃっていたそうです。
 
日毎に寒さが加わる今日この頃ごろです。どうぞ時節柄お体ご自愛下さい。
 
そして後に続く、男子・女子プロの方々を、末永く見つめて下さい。

また、栃木県のプロ第一号である小針春芳さんは、「偉業を称え、未来を拓く。ゴルフから」のスローガンで設立された「日本プロゴルフ殿堂」の第1回表彰者7人の一人に選ばれ、2012年3月26日に表彰されました。本当におめでとうございます!!


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今回で、プロゴルファー小針春芳さんの「私の生きた刻(とき)」は最終回になりました。
 
お付き合い下さいまして、ありがとうございました。

| Better Half | ゴルフ | 21:00 | comments(0) | - | pookmark |
小針春芳プロの「私の生きた刻(とき)」那須GC一筋

研修時代小針プロ
<研修時代のドライバーショットのフォーム。開場4年目の那須GC5番ホール。
昭和15(1940)年8月>

ライン13
 
「私の生きた刻(とき)

 プロゴルファー 小針春芳さん(89)  那須GC一筋

恵まれた環境に感謝


 「那須から動かない小針」「那須の神様」とか評されてきました。中村寅吉(なかむらとらきち)さん、小野光一(おのこういち)さん、林由郎(はやしよしろう)さんなどは所属を代えましたが、私は那須ゴルフクラブから「動く理由」がなかったのです。プロにとって恵まれた練習環境を与えてもらって、強くなれたというのは感謝以外の何ものでもありません。一昨年11月までプロとして勤めさせていただきました。
 
 戦前はゴルフを教えてくれる人なんていません。昭和10年代前半の研修生時代は那須GCのクラブハウスにあった2冊の雑誌を食い入るように毎日毎日、見て研究しました。
 ゴルフ雑誌も珍しい時代です。雑誌があるだけで恵まれていました。宮本留吉(みやもととめきち)さんのドライバーショット、戸田藤一郎(とだとういちろう)さんのアイアンショットがお手本でした。戸田さんはトップとフィニッシュに特徴がありました。グリップが腰のあたりまで下りてきているのに、シャフトがまだ真っ直ぐ立っている。そして一気にヘッドが下りてきます。力強いボールが生まれる秘訣でした。
 那須GCの計らいで、研究生の時から冬季閉鎖間は霞ヶ関CC(埼玉)でお世話になりました。20年以上になりました。那須GCのオープンは昭和11(1936)年。開場にあたっては、霞ヶ関CCと設計者が同じということからきずなが強かったわけです。
 12月から4月までだったのですが、5カ月間で3年分ぐらいの練習をしました。寝ている以外はゴルフ漬けの毎日でした。パッティング、アプローチの練習をして、ラウンドが終わったら、また、パッティングと。
 雨、風のコンディションでも競技はやりますから、雨の日も、風の強い日もそれは一生懸命やりました。その中でも特に低い球を打つ練習をしました。低い球はアゲインスト、横風の影響を受けにくい。狭いコースなどで有効なのです。同じ番手で同じ距離をだすのが前提ですが、低いボールで左に引っかけなければ一流。これができれば日本では勝てます。
 私はロングアイアンがどうも苦手。プロで苦手クラブをつくってしまってはいけないと、的を絞ってかなりの練習をしました。でも、体が人一倍硬く、体力が劣る私にはついに克服できませんでした。それをカバーするためにフェアウェイウッドの練習に打ち込みました。とくにクリーク(5番ウッド)を。さらにクリークを削りロフトを変えて6番にしたり、自分の欠点を克服するためのクラブ作りもしました。
 
 これらが実を結び、関東プロ優勝を手始めに、日本オープン優勝など勝つことができました。名前が売れてくると、当然、いくつかのゴルフ場からの誘いもありました。当時、トッププロは引っ張りだこ状態でした。提示額は現状維持の3倍が相場でした。
 所属していた那須GCは、恵まれた練習環境を与えてもらった上に、家族を養っていけるだけの給料を頂ける。トーナメントへのエントリーフィー、交通費の宿泊代もすべて負担してくれました。トーナメントで勝てば優勝祝賀会を開いていただき、受付には奉加帳も置いてくれました。ありがたかったですね。
 だから私は強くなれた。たとえ、驚くような待遇を提示されても首は縦に振れませんでした。誘いはその場ですべてキッパリと断りました。那須GCは私にとって親と一緒です。育ててもらった親を裏切ることはできません。それが「那須から動かない」理由でした。(構成 井上孝男さん)


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以上は、2010年5月15日、下野新聞「私の生きた刻(とき)」に掲載されたプロゴルファー小針春芳さんの記事です。今回はその13回目です。1〜12回は以前の私のブログをご覧ください。

小針春芳さんは、現在91歳になられ、拙宅から車で5分程の所に住んでいらっしゃいます。

また、栃木県のプロ第一号である小針春芳さんは、「偉業を称え、未来を拓く。ゴルフから」のスローガンで設立された「日本プロゴルフ殿堂」の第1回表彰者7人の一人に選ばれ、2012年3月26日に表彰されました。おめでとうございます!!
 
小針春芳さんと日本プロゴルフ殿堂につきましては、いずれこのブログで紹介させていただきます。
 
次回、 プロゴルファー小針春芳さんの「私の生きた刻(とき)」は、第14回目で最終回になります。どうぞよろしくお願いします。

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